主の祈り①「父よ」と祈ろう(マタイの福音書6章9節a)

1 「父」とは?「子」とは?

主の祈りは「父よ」(Πάτερ)という呼びかけから始まります。「私たちの父」とはどのようなお方なのでしょうか。

2 「私たちの父」とは、

(1)天地の創り主、全能の神でおられる方

父なる神は、天地の創り主です。「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1:1)天と地という対になる言葉は「すべて」といういうことを意味します。この世のすべては父なる神さまが創造されたというのです。さらに、私たちの父なる神さまは、全能の神です。御心に従って、すべてのことがおできになるお方です。

(2)三位一体の愛の交わりの中におられる方

父なる神さまは、三位一体の神の一人格です。使徒信条も、「我は…父なる神を信ず。」「我は…イエス・キリストを信ず。」「我は聖霊を信ず。」と3つのご人格をお持ちの神さまを告白しています。三位一体の神さまは、この世が創造される前から永遠に存在しておられました。3つのご人格はこの世のはじめから愛の交わりを続けてこられました。

(3)父の愛をお持ちの方

父なる神は「父の愛」をお持ちになっています。私たちは、この世で放蕩を続けてきました。しかし、神さまはその罪を問いません。神さまのもとに戻ってきた私の魂を「死んでいたのに生き返った」と喜んでくださいます。
罪ある人は本来そのままで受け容れることはできませんでした。しかし、父なる神さまは、私たちのすべての罪を一人子イエス・キリストに負わせました。一人子を十字架につけて殺すことで、私たちは父なる神に立ち返ることができたのです。

3 私たちは神の子たち

では、私たちはどのような存在なのでしょうか。

(1)「父よ」と祈ることができる神の子ども

旧約時代、ユダヤの人々は自らの罪故に神さまのことを「父」と呼ぶことは赦されませんでした。しかし、イエスさまが十字架にかかることで、「父よ」と呼ぶことを赦してくださいました。私たちは神の子どもです。大きな痛みと苦しみをもってイエスさまを十字架で殺してくださった父の愛があればこそ、私たちは神の子と呼ばれることが出来ました。

(2)神の家族である神の子ども

神さまに父なる神、子なるキリスト、聖霊には愛の交わりがあります。私たちは神の子となり、三位一体の愛の交わりの中に入れられました。私たちは、愛の交わりの中に生きる神の家族です。

(3)神の御国の相続にとなった神の子

神の子とされた私たちは、神さまの相続人となります。それは、キリストと共なる共同相続人です。何を相続するのでしょう。それは、天の御国です。やがて、神さまは、イエス・キリストが王となる神の国をお造りになります。それは神さまが御支配です世界です。愛と喜びと平安に満ちた世界です。死もなく苦しみもない世界です。私たちを愛する父なる神が私たちを神の国に入れてくださいます。

4 「父よ」と祈ろう

 私たちの父なる神は全能の神です。私たちのことを愛し、私たちの必要をすべてご存知で私たちを愛の交わりの内に入れてくださるお方です。私たちは「父よ」と父なる神さまを呼ぶそのとき、私たちは気付かされます。私には信仰がなかったことを。目の前の問題に捕らわれていたことを。このような父なの神の大きな愛に包まれていることを忘れていたことを。そして、私たちは、どのような問題の唯中におかれていても、全知全能の父なる神さまがともにおられることを発見します。
ですから、ヨブは祈りました。「あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました。」(ヨブ42:2)と。そして、私たちは、この世の問題を後ろにして、神さまとの深い祈りの交わりに入っていくことができるのです。
偉大なる創造主であり、三位一体の愛の交わりに生き、私たちを愛してやまないお方が私たちの父です。このお方に信頼し、日々の歩みの中で親しく祈りましょう。

(2025年5月4日 石原俊一 師)

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