主の祈り③御国がきますように(マタイの福音書6章10節a)

1 はじめに

日本の童謡に「春よ来い」という歌があります。春に命令してもその時期が早まることは決して在りません。それでも、「春よ来い、早く来い」と歌うことで、春を待ち望む気持を表現しています。
今日は主の祈りの3回目、「御国が来ますように」という御言葉を学びます。この祈りの原語は、「御国よ来い」です。「神さまが早く御国を創造してくださるように」という強い願いを現しています。

2 御国とは神さまの国

御国の原語は、「あなたの王国」です。国王はイエスさまですから、「イエスさまを王とする神の国」ともいえます。言い方を変えると、「イエスさまが御支配される世界」です。
神の国の特徴の一つめとして、「愛による支配」が挙げられます。イスラエルの人々は救い主の武力による支配を求めていました。しかし、神の国は、イエスさまの愛によって弱い者たちが生かされる世界です。
神の国の特徴2つ目は、国境がないことです。神さまの愛を信じ従う人々はちょうど水面に水滴を落とした時のように広がってって生きます。3つ目の特徴として、神の国は2つの内容があるということです。「すでに」の神の国と「いまだ」の神の国です。

3 「すでに」の神の国の広がり①-多くの人々に福音を-

「すでに」の神の国は、イエスさまが宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われたときから始まりました。イエスさまの愛を知り、神さまに立ち返る人の心の中に神の国が生まれました。今もイエスさまを信じる人々が世界に広がり、心の内にある神の国も拡大しています
しかし、この世にはまだイエスさまを信じていない人がいます。ですから私たちは祈ります。この地に「御国が来ますように」と。それは、「この世のすべての人がイエスさまを信じ、神の国が全世界に広まりますように」という祈りです。

4 「すでに」の神の国の広がり②-私の歩みをすべて御手の中に-

「すでに」の神の国はもう一つの広がり方をみせます。それは、イエスさまを信じ神の国が生まれたその人の中で神の国が大きくなることです。神の国がその人のうちにあっても、自分の肉の思いによって不自由になっているというのが私たちの実態です。その罪の思い、自分のこだわりをイエスさまの十字架につけていくのが、クリスチャンの歩みです。信仰は人々に自由を与えます。そして、よい芸術を楽しめるようになります。誠実にバランスよくはたらくことができるようになります。貧しい人や苦しんでいる人を助けることができます。友と遊び笑うことができるようになります。誰に対しても愛のある生活ができるようになるのです。「御国が来ますように」という祈りは、私の歩みをすべて御手の中においていただくことを願う祈りです。

5 「いまだ」の神の国

もう一つの神の国が「いまだ」の神の国です。この国はまだ、到来していません。この国の創造は、イエス・キリストの再臨のときです。終わりの日、キリストが再臨して死者を復活させて審判を行い、神の王国を完成させるのです。それは、全く新しく創造された世界です。神さまがともに住んでおられます。人々は神の民です。「いまだ」の神の国は、悲しみ、叫び、苦しみ、涙、そして死がありません。そこでは、アダムとエバが罪を犯したときに隠された「いのちの木」が回復します。人は永遠に生きるのです。神のかたちとしての人類が完成されます。この世界で、人は完全に神さまの御支配をうけるのです。そして、罪によって汚されたすべての世界が回復します。

6 「いまだ」の神の国の到来が遅れている理由

イエスさまは「いまだ」神の国の到来を祈り求めるように勧めます。しかし、神さまは神の国の到来を遅らせています。それは、神さまが救われる人を待っておられるからです。今も、神の国がすぐ近くのに来ているのに入ろうとしない人がいます。イエスさまは、戸の外にたってたたいています。イエスさまの声を聞いて戸をあける人を。一歩勇気をもって踏み出すのを待っておられます。
神さまが御支配する世界は、愛と喜びと平安の世界です。ですから、祈り続けましょう。「御国が来ますように」と。神さまはまず、あなたのところに来て、あなたを御支配されます。

(2025年5月25日 石原 俊一 師)

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