今、主に叫ぶ(詩篇120篇1~7節)
1 はじめに
詩篇120篇は「都上りの歌」の最初の詩です。昔、ユダヤ人は祭りのたびにエルサレム神殿へ「都上り」をしましたが、私たちも天国を目指して歩む信仰の旅路にあります。その道には思いがけない問題が起こりますが、詩人はその度に思いや願いを歌にし、神に訴えました。私たちも詩人の言葉を自分の祈りとして読むことができます。
2 私の叫びに答えてくださった神
詩人はまず「苦しみのうちに私が主を呼び求めると、主は私に答えてくださった」(1節)と証しします。「呼び求める」は「叫ぶ」とも訳せます。詩人は原因探しや人への不満、自分の中での堂々巡りではなく、主に向かって叫びました。主はその叫びに答え、歩む道を示してくださったのです。困難の時、なお自分で何とかしようとする人は心の中で反芻しがちです。しかし、弱さを認めて神に叫ぶ人は幸いです。今からでも、問題を主に正直にぶつけて叫びましょう。主は必ず答えてくださいます。
3 今、問題に直面する詩人の祈り
今、詩人は新たな旅の中で問題に直面しています。過去に答えをいただいても、目の前にはまた新しい問題が起こります。そのとき、詩人は再び叫びます。この叫びは、前回と同じではありません。今度も「神は必ず答えてくださる」と確信し、より具体的に祈ることができるのです。2〜7節はそのような詩人の祈りです。
4 今の問題①「偽りの世」
詩人が直面している一つ目の問題は「偽りの世」です(2節)。偽りの唇・欺きの舌は人の全人格の偽りを指します。人が偽る根本は「自分を守りたい」という思いにあります。神から離れた人間は弱さを隠し、都合のよいことだけを語るようになりました。詩人は「救い出してください」と祈ります。偽りの言葉は自分を滅びへ誘う力があるからです。信じる者であっても、自分を守るために無意識に偽りを用いることがあります。聖霊はそれを明らかにし、私たちを真理へ導きます。
イエスこそ道・真理・命であり、偽りを暴かれ、ありのままで神の前に立つ者が偽りから救い出されたクリスチャンです。信仰者はこの世の歩みの中で偽りが暴かれる「さばき」を通して救いへ導かれます。しかし、神を信じない者は終わりの日に滅びのさばきを受けます。3~4節の「勇士の鋭い矢」「えにしだの炭火」は滅びの日の瞬間的かつ持続的な神のさばきを表しています。
5 今の問題②「戦いを好む世」
二つ目の問題は「戦いを好む世」です(5〜7節)。詩人は譬えとしてメシェクやケダルという戦闘的な民族の名を挙げ、自分が戦いを好む人々に囲まれている現実を訴えます。人が戦うのは「自分の思い通りに支配したい」からです。国家間の戦争だけでなく、夫婦・職場・家庭などでも同じです。しかし、神にある者はすでに自分の思い通りにしたい生き方に死んでいるため、戦う必要がありません。
「平和をつくる者は幸い」(マタイ5:9)とイエスは言われました。イエスご自身が敵と戦わず十字架にかかり、死と復活を通して平和を実現されたからです。私たちもイエスにあって平安の道を歩むことができます。
それでもこの世は戦いを求め、私たちを巻き込もうとします。詩人のように、その都度神に訴え、自分がすでに神の御心に生きていることを確認しましょう。神に叫べば必ず答えてくださるからです。
6 終わりに
詩篇120篇は祈りの模範です。過去の経験を証ししつつ、現在の悩みを神に訴える詩人の姿は、私たちに「今すぐ主に叫ぶ」ことを勧めています。心の中で反芻するのをやめ、どんなに小さなことでも神に正直に叫びましょう。神はあなたの叫びを聞き、必ず答えてくださいます。あなたの人生の旅路も「苦しみのうちに私が主を呼び求めると、主は私に答えてくださった」という確信に満ちた証へと変えられていきますように。
(2025年9月28日 石原 俊一 師)