ひっくり返らない正義、そして愛(詩篇33篇1~6節)
1 はじめに~詩篇33篇に満ちる喜び
福島聖書教会に再び伺うことができ感謝しています。福島は震災を通して深い思いを抱くようになった地であり、今では特別な愛着を感じています。数年前、福島を愛して相馬に移住した教え子がいました。韓国籍の青年で、先月39歳で天に召されました。彼は神と福島に身を捧げ、聖書の言葉を人々に届けようとした人でした。今日は彼の志と心を重ねながら、詩篇33篇から神の語りかけを共に受け取りたいと思います。
この詩篇には「賛美」「感謝」「喜びの叫び」といった言葉が並び、全体に高揚した喜びが満ちています。1節「正しい者たち」と聞くと、自分とは無関係に思えるかもしれませんが、「賛美は直ぐな人たちにふさわしい」とあるように、神にまっすぐな心を向ける人こそ招かれているのです。あなたが教会に来られた、それでいいのです。そのまっすぐな心に、賛美と喜びがあふれます。
2 天地を創造した神と本物の神を求める私たち
日本では「キリスト教は西洋の宗教」と思われがちですが、聖書の最初の言葉は「はじめに神が天と地を創造した」です。そこにあるのは民族や地域を超えた、すべてを造られた真の神です。山や木や滝に宿る神々ではなく、天地を生み出し命を支える方です。この神が今も語り、祈りを聞いてくださるのです。
6節には「主のことばによって天は造られた」とあります。神のことばは天地を造り、今も私たちを支えています。私たちは皆本当に信頼できるもの、正義、真実な愛を求める者、感謝することをしたい存在です。 また、ある時には心から謝って赦されたいと願います。
さらに6節「天の万象もすべて御口の息吹によって。」と続きます。ここには、私たちの人生を丸ごと支える神がいることが語られています。 感謝と心からの歌を受けてくれる方があるのです。 それを感じる時にはっと気づいて、ああ、この方に「ごめんなさい」と告げることができることに気づかされていくのです。
私の祖母は大正時代に信仰を持ち、孤独と貧しさの中で神の赦しと平安を得ました。その信仰の中で生まれた家族の名には「まこと」「久しい恵み」「義の人」といった言葉が刻まれています。人は「無宗教」と言いつつ、心の奥には本物の神を求めています。創造主なる神は、あなたのその心を求め、まっすぐに応えてくださる方です。
3 ひっくり返えることのない正義と愛
聖書は千年にわたるイスラエルの歴史を記しますが、それは人の失敗の連続でもあります。しかし、その中で変わらない神の愛と真実が輝きます。神は正義と公正を愛し、その恵みで地を満たしておられます。まことの正義と愛は、ひっくり返ることがありません。
私たちの時代には、戦争、冷戦、利己主義、分断、コロナなど、多くの混乱がありました。人の正義は揺れ動きます。しかし、聖書は言います。4節「主のことばは真っすぐで、そのみわざはことごとく真実である。」5節「主は正義と公正を愛される。【主】の恵みで地は満ちている。」神の愛こそ、決して覆らない正義です。
十字架はその証です。人の罪と自己中心を、神は御子イエス・キリストの犠牲によって贖われました。ローマ5章8節にはこうあります。「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死なれたことによって、神はご自分の愛を明らかにしておられます。」十字架には、ひっくり返らない神の正義と愛が交差しています。
4 おわりに~真実の愛と揺るがない正義への信頼~
私の人生も平坦ではありませんでした。幼くして母を亡くし、家庭には混乱と痛みがありました。しかし、神の真実な愛に支えられ、弟と共に牧師となる道が備えられました。今年の夏には、母が信仰を持った浜松の地で、次の世代が同じ信仰に生きる姿を見ることができ、深い感謝を覚えました。
人生は厳しく、人は罪深く、社会の正義は容易に揺らぎます。しかし、天地を造られた神の正義と愛は決してひっくり返りません。人を愛し、御子を与え、赦しへと招いておられる神。この方の真実な愛と揺るがない正義に、私たちの信頼を置きましょう。
(2025年10月26日 歓迎礼拝 菊池 実 師 要約文責 石原 俊一)

