「神の御住まいとなるために」(エペソ人への手紙2章11~22節)
1 はじめに
教会の聖徒とはどのような存在でしょう。パウロはこの箇所において聖徒の3つの特徴について語っています。
2 神にあって平等な存在
第一に、聖徒とは「神にあって平等な存在」です。平等であるということは、聖徒同士の間に優越や劣等といった区別がないという意味です。
神はまずイスラエルの民を救い、その後異邦人を救う計画を立てられました。しかし、イスラエルの民は、割礼を受け律法を持つ自分たちだけが選ばれた民族だと錯覚し、優越意識を抱いてしまいました。こうした自己中心的な考え方はユダヤ人だけでしょうか?私たちも皆、心のどこかで「私が一番だ」と思っていませんか?しかし、神は私たちの罪を代わりに負い、十字架で血を流して命を捨てられたイエス様を信じるなら、救いを得る道を備えてくださいました。
14節には、キリストがユダヤ人の聖徒と異邦人の聖徒の間にあった、互いに優越を誇り合うことから生じた敵意を打ち壊されたと記されています。さらに16節を見ると、神とこれらの聖徒たちの間にあった敵意を滅ぼされたことがわかります。真の平和は、イエス様にあって神様だけが与えることのできるものです。私たちは、イスラエルの民と同じように、神の国の子どもであり、神を「父」と呼ぶ神の家族となったのです。
3 互いに組み合わされて生きる人々
第二に、聖徒とは「互いに組み合わされて生きる人々」です。神は、一つの家族となったユダヤ人の聖徒と異邦人の聖徒を通して、この地に神の御住まい、すなわち神の国を築いていかれます。そのために、神は、聖徒たちが互いに手を取り合い、しっかりと結び合うようにされました。
21節には「建物の全体が組み合わされて」、22節には「ともに」と記されています。これは、ユダヤ人の聖徒と異邦人の聖徒が別々に神の国を築くのではなく、共に手を携えて神の国を建て上げることが神の御心であるという意味です。鶴ヶ城の石垣がさまざまな形の石で積み上げられているのを見ました。大小さまざまな石がそのまま積み重なり、一つの塀を形づくっているように、神は教会という建物をそのように建てておられるのです。
4 成長していく人々
第三に、聖徒とは「成長していく人々」です。 21節に「成長し」、そして22節に「築き上げられ」という言葉があります。神は私たち聖徒を、絶えず成長させておられます。イエス・キリストにまで至るまで成長させてくださるのです。このことは、エペソ人への手紙 4章13節,15節にも記されています。それは、私たちが神の住まいとなるためです。
教会で他の人々と共に信仰生活を送り、共に奉仕していると、互いに衝突することは避けられません。そのため、こうした衝突や葛藤を避けるために教会に来なくなったり、来てもすぐに帰ってしまう方がいるかもしれません。しかし、実はこうした衝突や葛藤、そして苦難があるからこそ、私たちは成長できます。「組み合わされて」「築き上げられ」という言葉は、能動態ではなく受動態です。これは、私たちを成長へと導く主体は私たち自身ではなく、神であるということを意味しています。神は、私たちが苦難を通過し、最終的には神の御住まいとなるために成長させてくださると約束しておられるのです。
5 おわりに~神の御住まいへ
韓国人宣教師たちが困難に直面した理由の一つは、「韓国教会は日本教会より優れている」という考えにありました。韓国教会の信仰生活の様式や伝道方法を、そのまま日本教会に適用しようとしたため、かえって困難を招いてしまいました。私はこのことから多くのことを学びました。
私が所属している南柏聖書教会において、私たちは恵みによって救われたことへの感激と感謝にあふれ、平和を与えられています。神は、私たちを神の家族として互いに手を取り合い、愛し合い、赦し合いながら成長させ、ついには神の御住まいとしてくださると信じます。
(2025年11月16日 キム・ビョンイル師 要約責任:石原 俊一 師)

