イエスさまはどのようなお方か?(マタイの福音書9章35~38節)
この箇所では、4章23節から9章34節までのまとめが書いてあります。そのためここには、これまでマタイが書いてきた「イエスさまがどのようなお方か?」が明確に示されています。
1 イエスさまの務め
(1)預言者
第一に、イエスさまは「預言者」です。35節に「会堂で教え」とあるように、神さまの御心と律法の真意を解き明かされました。預言者であるイエスさまは、信仰の踏みはずしをしたとき、御言葉によって示され立ち返らせてくださいます。御言葉をもって神さまの御愛をしみじみと知らせてくださいます。悲しいときには御言葉によって励ましを与えてくださいます。ですから、私たちは、どのように歩んで良いか迷うとき、イエスさまに神さまの御心を問います。すると、イエスさまは御言葉によって道を示してくださいます。
(2)王
第二に、イエスさまは「王」です。35節に「御国の福音を宣べ伝え」とあるように、病や悪霊、死をも支配する権威を示されました。王なるイエスさまは私たちにも愛とあわれみのまなざしで見てくださいます。私たちの救いのために、十字架の死にまで父の御旨に従われます。ですから、私たちは自分の思うようにことが進まなくても、イエスさまに一切を委ねます。すると、イエスさまは、神さまの愛の御支配の中で歩む者たちを祝福してくださいます。
(3)大祭司
第三に、イエスさまは「大祭司」です。35節に「あらゆる病とわずらいを癒やされた」とあるように、罪と汚れを清め、神さまと人との間を執りなしてくださいます。大祭司であるイエスさまは、ご自分の命をいけにえとして十字架に献げられます。ですから、私たちは自分の罪や汚れを示されたとき、イエスさまに罪の赦しを願います。すると、イエスさまは、私の罪を赦し、父なる神さまに取りなしてくださいます。
2 イエスさまのご性格
(1)あわれんでくださるお方
36節に、イエスさまは群衆を見て「深くあわれまれた」とあります。群衆の姿が、羊飼いのいない羊のように、弱り果てて倒れているように見えたからです。ここで使われている「あわれむ」という言葉の原語は、内臓、つまり「はらわた」を意味します。イエスさまは、ただ「かわいそうだ」と思われたのではありません。自分勝手な道に迷い込み、消耗しきった人間を見て、「はらわたがちぎれるほどの痛み」をもって共に苦しんでくださったのです。この深いあわれみゆえに、主は私たちの罪を背負い、十字架にかかってくださいました。
(2)民のためにすばやく動かれるお方
37節に「そこでイエスは弟子たちに言われた。…ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」」とあります。「そこで」の原語は、「そのとき」です。「弟子たちに言われた」とありますが、原語は、「弟子たちにいう」と過去形ではなく、現在形で書かれています。イエスさまが、群衆を見て深くあわれまれたそのとき、すぐ弟子たちにこの言葉を語るのです。ここでは、群衆を見てあわれまれたときにすぐに弟子たちに声をかけて動き出するイエスさまの姿が生き生きと表現されています。イエスさまは、民を思い、民のためにすぐ動かれるお方なのです。
(3)信者とともに働かれるお方
10章以降では、38節にある「ご自分の収穫のために働き手」を送り出します。イエスさまは、苦しんでいる民を救うためにお一人で働かれる方法をとりませんでした。イエスさまを信じている者たちをイエスさまと同じ働きをするために派遣します。すべての信者とともに働き、問題を解決しようとします。この方が多くの働きができます。より人々に届くことができます。そして、イエスさまのために働くその人も、イエスさま多くの恵をいただくことができます。イエスさまは、信者とともに働かれるお方なのです。
(2026年2月15日 石原 俊一 師)

