そのままのあなたを派遣する(マタイの福音書10章1~4節)

1 はじめに-主の深いあわれみ-

これまでイエスさまは、お一人で愛とあわれみの御支配を広げてこられました。しかし、マタイの福音書10章に至り、主は弟子たちを派遣されます。そのきっかけは、群衆が「飼い主のいない羊」のように弱り果てている姿をご覧になり、深くあわれまれたことでした。少しでも多くの民を救いたいという主の痛みが、弟子の派遣へとつながったのです。

2 十二弟子任命の三つの目的

マルコの福音書には、任命の目的が三つ記されています。
① ご自分のそばに置くため: イエスさまの歩みを間近で見た証人とするためです。
② 宣教させるため: 福音を全世界に伝える中心的な役割を担わせるためです。
③ 悪霊を追い出す権威を与えるため: 痛み、弱っている民を癒やすため、主はご自分の権威 を弟子たちに授けられました。
10章においてイエスさまが12弟子を呼んだ1番の理由は、3つの目の目的によります。イエスさまは、痛み、弱っている民を深くあわれみ、民のために何とかしてあげたいという思いで弟子たちを招集したのです。

3 個性豊かな十二人の弟子たち

イエスさまが選ばれたのは、決して立派な人物ばかりではありませんでした。
ペテロ(シモン): 「大胆に失敗するリーダー」です。主を三度も知らないと言い、大きな失敗をしましたが、その度に砕かれました。主はその砕かれた彼を「岩」として用い、教会を建てられました。「失敗しても主は岩として用いてくださる」のです。
アンデレ: 「つなぎ役の素直な弟子」です。自分に能力があると思わず、ただ人を主のもとへ連れて行きました。「つなぐ」という小さな働きが、大きな奇跡を生むのです。
ヤコブとヨハネ: 2人は「雷の子」と呼ばれるほど激情的でしたが、その熱情が主に向いたとき、ヤコブは最初の殉教者となり、ヨハネは「愛の使徒」へと変えられました。気性の激しささえも、主の愛に変えられるのです。
ピリポ、バルトロマイ、トマス: 「理解不足の弟子たち」です。的外れな答えをしたり、直ぐに理解出来ないことがありました。疑うこともありました。しかし、主は「分からなくても共におられる」方です。分からないまま主に向かうとき、主が導いてくださいます。
マタイ、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン: 「目立たない器」です。聖書に詳細は語られませんが、主は彼らを等しく使徒として選ばれました。世界が知らなくても、天の命の書にはその名が記されています。黙々と従い続ける存在もまた、不可欠なのです。
イスカリオテのユダ: 「弱さを隠し続けた弟子」です。能力は高かったのですが、ありのままの自分を主にさらけ出せませんでした。ペテロのように、イエスさまの前で泣けば良かったのです。しかし、ユダは最後まで自分の問題を自分で処理してしまいました。信仰とは、ありのままを差し出すことが命なのです。

4 おわりに-そのままのあなたを派遣してくださる主-

こうして見ると、弟子たちはそれぞれ課題を抱えたまま、正直に主に向かう者たちでした。大切なのは、「主が彼らに権威を与え、送り出した」という事実です。主によって派遣され、主の権威が働くとき、彼らの長所は用いられ、短所さえも益へと変えられました。
今を生きる私たちもまた、この世に派遣されています。「自分には大きなことはできない」と思うかもしれません。しかし、主は悩み苦しむ現代の課題に応じる権威を、私たちにも与えてくださいます。アンデレのように誰かの話を聴き、主のもとへ連れて行くころでもいいでのす。
主は、そのままのあなたを派遣してくださいます。主の権威を信頼し、現代における「派遣」の第一歩を共に歩み出していきましょう。

(2026年2月22日 石原 俊一 師)

 

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