宣教の心得①-御心は最善-(マタイの福音書10章5~8節)

1 はじめに

マタイの福音書にはイエスさまの説教が5つにまとめられていますが、今週からその2番目、10章に記された「宣教の心得」から御言葉を味わいたいと思います。ここには、弟子たちが誰に、何を、どのような心で伝えるべきかが示されており、今を生きる私たちにとっても大きな指針となります。

2 神さまのあわれみと御心に基づいた宣教

まず、宣教の対象について、イエスさまは驚くべき命令を下されました。「異邦人の道に行ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊たちのところに行きなさい」と言われたのです。これは、日本人である私たちへの宣教を拒んでいるのではありません。

なぜ、イエスさまはあえて対象を限定されたのでしょうか。第一の理由は、イエスさまが目の前で「羊飼いのいない羊」のように弱り果てている群衆を、深くあわれまれたからです。イエスさまは遠くの理想を語る前に、今ここで苦しんでいる一人ひとりを決して見捨てないお方です。まず目の前の民を愛し抜くために、焦点を絞られたのです。

第二の理由は、救いをイスラエルから全世界へと広げていくという「神さまの御心」の順序があったからです。神さまは、ご自身を一遍に啓示するのではなく、人格的な関わりを重んじて計画を進められました。私たちの目には遠回りに見えても、神さまの御心は常に最善です。

3 神の国を伝え、困っている人々を救う

次に、宣教の内容についてです。イエスさまは「天の御国が近づいた」と宣べ伝えなさいと命じられました。「近づいた」とは、イエスさまの愛があなたのすぐ目の前にある、という意味です。イエスさまの支配は、罪を赦し、回復を与える恵みの支配です。弱り果てた羊たちが救われる道は、何よりもまず、このイエスさまの救いを受け取ることにあるのです。

そして、イエスさまは弟子たちに、病人を癒やし、悪霊を追い出す権威を与えられました。これは、イエスさまがご自身の祭司としての権威を弟子たちに分け与え、目の前の現実的な苦しみを解決しようとされたからです。

現代において、なぜ当時のような劇的な癒やしの奇跡が少なくなったのかと、私たちは問いを持つかもしれません。そこには3つの理由が考えられます。 一つ目は、現在の牧師の働きの中心が、魂の根本的な救いである「特別恩寵(罪の赦しと神との交流の回復)」にあるからです。 二つ目は、人が癒やしの「力」そのものに執着し、信仰の本質から逸脱して教会が混乱するのを防ぐためです。 そして三つ目は、現代には医療や福祉という「一般恩寵(すべての人に与えられる神さまの恵み)」が備えられているからです。神さまは、かつては直接的な奇跡でしか示せなかった愛を、現在は医学や福祉という知恵を通じ、より日常的、広範囲に実現してくださっているのです。

4 イエスさまのスピリットを引き継ぐ

大切なのは、形は変わっても「目の前の苦しんでいる人をあわれみ、寄り添う」というイエスさまのスピリットを忘れないことです。現代のキリスト者も、フードパントリーや子ども食堂、あるいは心理学やカウンセリングといった知恵を用いて、人々の痛みに仕えていくことが求められています。

福島聖書教会の初代牧師、木田惠嗣先生が、青年たちの心に寄り添うために心理療法を学ばれたのも、まさにこのあわれみの心ゆえでした。心理学そのものが魂を救うことはできませんが、主は、悩める人に寄り添うための道具として、現代の知恵を「一般恩寵」として用いてくださいます。

4 おわりに

神さまのご計画は、私たちの思いを超えて確実に進められていきます。時に、御言葉が自分の願望と異なり、理解できないこともあるでしょう。しかし、御言葉を語ってくださる主は、愛とあわれみに満ちたお方です。その御心は、常に最善なのです。

私たちが宣教に遣わされるとき、自分自身の力を見るのではなく、ただ主を見上げましょう。イエスさまと同じあわれみの心を持ち、主の御声に耳を傾けながら、一歩ずつ歩み出していきたいと願います。

(2026年3月1日 石原 俊一 師)


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