宣教の心得③-賢く素直に-(マタイの福音書10章16節~23節)

1 はじめに-「わたしが」あなたがたを遣わす-

イエスさまは弟子たちを宣教に送り出す際、「いいですか(見よ)」と言葉を尽くして注目させ、「わたしがあなたがたを遣わします」と強調されました。これは「あなたがたが通る試練の責任は、このわたしが負う」という力強い宣言です。イエスさまは、弟子たちが後に激しい迫害や殉教を経験することをご存じでした。だからこそ、今を生きる私たちが試練の中に置かれるときも、「あなたを遣わしたのはわたしだ」というこの言葉が、私たちの確かな支えとなるのです。

2 狼の中の羊として

宣教の現場は、まるで「狼の群れの中に羊を送り出す」ようなものです。羊は弱く、羊飼いに従うことでしか生きられません。一方、狼は自分自身を「主」とし、思い通りにならない者を力で屈服させようとする存在です。社会の中のハラスメントや、時には教会の中ですら、自分の思いを実現しようとする「狼」のような支配が起こることがあります。 しかし、イエスさまは「人々から憎まれ、引き渡されるのは当然だ」と仰いました。つらい状況にあるとき、「自分の信仰が足りないからだ」と自分を責める必要はありません。それはイエスさまにとって「想定内」のことであり、私たちが神さまを第一としている証しでもあるのです。

3 蛇のように賢く-逃げる勇気-

次にイエスさまは「蛇のように賢くありなさい」と教えられました。ここでの「賢さ」とは、蛇が持つ優れた危機回避能力のことです。私たちは「逃げるのは負けだ」と思いがちですが、イエスさまは「危ないときは素早く逃げなさい」と仰っています。 あなたは神さまにとって、かけがえのない大切な存在です。そしてあなたが握っている福音もまた、守り抜かれるべき宝です。生きてさえいれば、さらに多くの人に福音を伝えることができます。戦うことよりも、自らの身を守り、宣教を継続するために「賢く逃げる」ことは、イエスさまが推奨された大切な知恵なのです。

4 鳩のように素直に-聖霊にゆだねる-

同時に「鳩のように素直でありなさい」とも命じられました。これは「偽りのない、ありのままの心で神さまの前に出る」という意味です。迫害や困難の中で、強がる必要はありません。「怖い、つらい、助けてほしい」というありのままの思いをイエスさまに差し出すとき、そこに聖霊が働かれます。 「何を話そうか」と心配しなくてよいのです。偽りのない心で祈る人の内では、父なる神の御霊(聖霊)が、語るべき言葉を与えてくださいます。

5 最後まで耐え忍ぶ者に与えられる希望

「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」とは、単なる根性論ではありません。「自分は救われた罪人である」という恵みの立場を貫き通すということです。苦難は忍耐を、忍耐は練られた品性を、そして品性は希望を生み出します。たとえこの世でどのような扱いを受けようとも、聖霊によって注がれる神さまの愛は、決して私たちを失望させることはありません。

6 主が責任を持ってくださる

最後に、イエスさまは「人の子が来るときまでに、イスラエルの町々を巡り終えることはない」と仰いました。これは、私たちの宣教が道半ばで終わったとしても、それでいいのだという慰めです。宣教を完成させる責任は主ご自身にあります。私たちはただ、蛇のように賢く、鳩のように素直に、与えられた場所で歩み続ければよいのです。

7 おわりに-派遣される私たち-

礼拝の最後、私たちは世へと送り出されます。今、あなたの目の前に「狼」のような状況があるかもしれません。しかし、イエスさまはあなたに「心配するな、わたしが共にいる」と語りかけておられます。ありのままの心で神さまに向かいましょう。聖霊があなたを助け、神さまの愛があなたを包みます。どのようなことがあっても、キリスト者には決して失われない希望があるのです。

(2026年3月15日 石原 俊一 師)

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