みことばをあなたの心に( 申命記6章4節~12節)

1 主の恵みを覚えるために

(1)心で覚える(みことばを心に蓄える)

ユダヤの教育では、子どもに最初に覚えさせるのが、「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。」(申命記6:4)から始まるみことばです。この箇所は、申命記6:4の最初のふたつの言葉「聞け、イスラエルよ。」というヘブライ語から、「シェマー・イスラエール」と呼ばれています。「主は唯一である。」とは、”The Lord is Only One”(主は唯一のお方)というだけでなく、”Only the Lord”(主ひとりだけ)という意味もあります。主はただひとり、唯一のお方である。ということをしっかりと覚えましょう。そして主だけが私を救い祝福してくださることを心に刻み、みことばを一つでも多く心に蓄えましょう。

(2)からだで覚える(礼拝・みことば・祈りの生活)

ユダヤ教では、「これをしるしとして自分の手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。」(申命記6:8)というみことばを文字通り実行しています。祈りの時間になると、テフィリン(申命記6:8、申命記11:18、出エジプト13:9、16が入っている小さな箱)を、額や腕に付けて祈ります。そして9節の「これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。」から、メズザー(申命記6:4~9、申命記11:13~21のみことばが入っている箱)を家の入り口や部屋の入り口に取り付け、出入りの際にメズザーを触ります。ユダヤの人々は、このように神の言葉を覚え、主を忘れないようにと努力しました。その努力に、私達も見習いたいと思います。礼拝を守り、聖書に親しみ、日々の祈りを欠かさないようにしたいと思います。

 

2 主を覚え主を愛する

ユダヤの人々は、シェマーを唱え、テフィリンを身につけ、メズザーに触れることがいつのまにか形式的なものになってしまいました。神の言葉そのものよりも、律法を守ることが大切になり、それを守ることによって神の国に入ることができると考えるようになってしまいました。これを律法主義と言います。律法主義は、律法守ることによって自分を救おうとすることで、神のあわれみに感謝したり、その恵みに信頼することが忘れられてしまいます。イエス様は、「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。』」(マタイ22:36-40)と言われ、主を覚え主を愛することが一番大切だと教えられました。

 

3 サムエルのように

主を覚え主を愛する時にはまず「主のことばを聴く」ということが必要です。私たちはどのような態度で主のことばを聴くのでしょう。それは「サムエルのように」です。サムエルは主からの呼びかけに 「お話しください。しもべは聞いております。」と応えました。少年だったサムエルは、暖かな神の語りかけに寄り添うように自分の人生を預けて行きました。これが「主の言葉を聴く」ことです。私たちも、サムエルのように、へりくだり、主に信頼し、主に心を開き、主に寄り添い、主のことばに聞き従いましょう。

 

4 おわりに

私たちは、神の愛を、恵みを心に刻んでいないと、いつしか、高慢になり、今の幸せは自分の力で勝ち取ったもののように思うようになり、「おひとりの主、主おひとりが幸せを与えてくださるお方である。」ということを忘れてしまうのです。私たちは、神の恵みを忘れることのないように、たえず、神のことばを聞き、神のことばによって自分の生活をふりかえり、「お話しください。しもべは聞いております。」「神さま、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたを愛することができますように。」と祈り求めていきましょう。

(2020年10月18日 赤松 望 師)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です