悲しみの祈りを通して導かれたハンナ(1サムエル記1章1節~28節) 

1 悲しみをもって主に向かうハンナ

ハンナは,泣いて食事もできないくらい深い悲しみの中にいました。ハンナの悲しみの原因は,ハンナに子がいなかったことです。ハンナの心の底には,「子どもが与えられない私は,神さまから愛されない,神さまから捨てられた存在なのだろうか」という思いがあったのです。

悩みの中でハンナは主なる神さまに向かって立ち上がり,神さまに向かって祈りました。私たちは,悲しみのときに人に向かっていないでしょうか。自分に向かっていないでしょうか。ハンナのように,神さまに向かって祈ると,神さまはその祈りを導いて下さいます。

2 主に祈り抜き平安を与えられるハンナ

祈り終えたハンナの顔は,もはや以前の悲しみの顔ではありませんでした。ハンナは,神さまからの平安を与えられたのです。

このとき,まだ,ハンナには子どもが与えられていません。与えられるかどうかも分かっていません。しかし,ハンナには平安が与えられました。これが,神さまに明け渡し,祈り抜いた人の証です。祈りが聴かれてから平安になるのではありません。神さまにすべてを明け渡したとき,神さまにすべてをお委ねしたときに平安を与えられるのです。

私たちも一生懸命問題の解決を祈ります。けれども,「なんとかしなければ…」と,自分で抱え込んでいる間は注ぎ出す祈りになりません。しかし,神さまにすべてをお委ねたとき,平安が与えていただけることを信じて祈り抜いていきたいと思います。

3 主に我が子をゆだねるハンナ

ハンナは,神さまによって,男の子を産むことができました。サムエルの誕生です。祈りが聴かれたハンナは,自分が生んだ男の子サムエルをエリに託します。それは,サムエルを主にお委ねすることでした。

ハンナには,我が子に対する情の思いがあったと思います。年老い自分の子どもさえ十分に育てられないエリに対する不安もあったと思います,しかし,ハンナは,神様の導きを受けて,サムエルをエリに託すことが一番幸いなことだと信じ,その通りに行動しました。

信仰とは,自分の思いや判断を優先するのではなく,神さまの導きの中に神さまの御心を見て,それに従っていくことです。

4 終わりに

神さまは,子どもが与えられないという悲しみからハンナを祈りに導き,平安を与え,男の子サムエルを与え,そのサムエルをエリに託すというところまで導かれました。すべては,神さまのご計画の中の出来事だったのです。私たちは,悲しみの中にいたとしても,その悲しみを神さまの前に注ぎだし,ハンナのように神さまに導かれていきたいと思います。一切は,私たちを愛して下さる神様のご計画の中にあるのですから。

(2021年1月17日 石原 俊一 兄)

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