神の子の声を聞くとき(ヨハネの福音書5章25節~29節)

0 はじめに

パリサイ人や律法学者は,イエスさまの発言に対して「イエスは自らを『神の子で神と等しい者』と言っている」と激怒します。5章は,このパリサイ人や律法学者に対するイエスさまの応答として展開します。イエスさまは,イエスさまが神の子であること,そして,父なる神さまとイエスさまが愛で結ばれているといいます。さらに,この愛の関係故に,父なる神さまは,子なるイエスさまに「いのち」と「さばき」をお委ねになったとお語りになりました。

1 今生きているすべての人間がイエスさまの声を聞く

「いのち」と「さばき」を委ねられたイエスさまは,「死んだ人が,神の子,イエスさまの声を聞くときが来る」語られました。「死」というのは,永遠なる神さまとの関係が切れてしまった状態のことです。神さまは,私たち人間を,「神さまと愛の関係で結ばれた存在」としてお造りになりました。永遠なるお方の神さま神さまと愛の関係を続ければ人間に死はありませんでした。ところが,人間は神さまの愛をうらぎってしまいました。「食べては行けない」と言われていた善悪の知識の木から食べてしまったことにより「死」が始まってしまったのです。神さまとの関係が切れてしまったすべての人間は霊的にみると「死人」です。
イエスさまは,この霊的な「死人」がイエスさまの声を聞くと語られました。イエスさまは,すべての人間に声をかけられます。「それを聞く人」は,イエスさまの声を聞いて,信じて,イエスさまのもとに行く人です。イエスさまの声を信じる人は赦され「いのち」を受けることができます。イエスさまを通して,神さまの愛の関係をもつことができます。聞いてもイエスさまのもとに行かない人は聞いて人とはいえません。従って,「さばき」を受けるのです。

2 すでに亡くなったすべての人もイエスさまの声を聞く

「いのち」と「さばき」を委ねられたイエスさまは,実際にお墓に入っている人も,入っていない人も,亡くなったなった全ての人がイエスさまの声を聞くといいます。そのときのことを,「再臨」といいます。それは,この世の終末のとき,この世の終わりのときです。そのときがいつになるかは分かりません。
話を聞いて信じた人(善を行った者)は,「いのち」を受けるために復活して出てきます。神さまと愛の関係でむすばれ,永遠のいのちをもつ神さまとともに永遠に生きます。イエスさまの話を聞いて信じなかった人(「悪を行った者)は,「さばき」を受けるために復活してできます。

3 「いのち」の道~聞いて信じるか,信じないか~

アダムが善悪の木の実を選んだとき以来,人には,さばきの道を行くしかありませんでした。しかし,父なる神さまの御心により,イエスさまは十字架の死をとおしていのちの道を創ってくださいました。私たちには,「いのち」の道と「さばき」の道という2つの道が示されているのです。
イエスさまは,私たちに,「あなたは,どちらを選びますか」と問いかけます。イエスさまは私たちの自由な意思を尊重します。しかし,イエスさまは,私たちがイエスさまの声を聞き,イエスさまを信じるのを待っておられます。イエスさまは,私たちに「いのち」を与えたいのです。イエスさまは,今,このとき,愛のまなざしで私たちの選択を見つめておられます。

(2022年1月9日 石原 俊一 兄)

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