和解の福音(コロサイ人への手紙1章18節~22節)

1 かつてのコロサイ人

人間は,本来神さまと人格的に交わり,神さまと愛の関係の中で神さまの御栄光を表すためにつくられました。しかし,コロサイ教会の人々は,かつて,人間が本来の場所にいませんでした。「悪い行いの中にある」の「中に」(ἐν)は,コロサイの教会員が丸ごと全部すっぽりと 「悪い行いの中にある」にあるということを意味します。敵意という言葉は敵対する心のことです。この場合の「心」(διανοίᾳ)はただ心というのではなく,考え,思想という意味を持ちます。神さまは敵であるという思い,考え,思想をもち,神さまに反逆する状態にあったということです。
これは,神さまを信じないすべての人の姿です。現代を生きる人間の多くが神さまから離れて滅びへの道を歩んでいます。パウロは,罪の中にどっぷりと浸かっていたかつてのコロサイ教会員の姿を思い起こさせようとしました。それは,その後,パウロが示そうとしている「神さまとの和解」がどれだけすばらしいかを示すためです。

2 今のコロサイ人

パウロは,今は,コロサイ教会の人々がイエス・キリストと和解させていただいたことを指摘します。ここで用いている和解(καταλάσωと意味が同じ)は,「変更、交換する」を意味します。ここでは,人間がもっていた神さまへの敵意を変えて神さまと人との関係を変更し回復するという意味です。もともと,神さまは愛のお方です。神さまは,愛をもって人間をつくり,人間との愛の関係をもとうとしておられました。しかし,人間の方から神さまに対して敵意をもち,神さまに反逆しました。その反逆する人間と神さまの関係を変えてくださったのは神さまです。人間に対して,「私はあなたと和解したいのだ。あなたとの関係を愛の関係に戻したいのだ」と一方的に申しでてくださいました。ですから,この和解は,神さまからの一方的な変更です。回復です。人間の側では,神さまが与えてくださる和解を受け入れるだけです。「ありがとうございます」といっていただくのが和解です。

3 万物をも和解させる神

20節を読むと,22節を同じ事をいっているように感じますが,少しだけ違うところがあります。それは,「万物を和解させる」「地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させる」と書いてあることです。神さまが,天地をつくられ,ご自分がつくられたものをみたとき,「それは非常に良かった」としています。ところが,3章でアダムとエバが罪を犯してしまいます。神さまが造られた天地,自然,動物,植物その全てが神さまから離れ,本来の姿を失ってしまいました。しかし,イエスさまの血によって,この世にある全ての物が和解できるのです。イエス様の十字架の重みと大きさを感じます。
このような,福音が成就のすべてはイエスさまの働きによります。イエスさまが,完全な人であり,完全な神さまの子だからできたのです。ですから,イエスさまは,教会のかしら,そして,すべてのことにおいて第一の者 なのです。

4 まとめ

イエスさまの十字架は,人間と神さまとの愛の関係を回復するだけではなく,天と地と地上にあるすべての物と神さまとの関係を回復する大きな力があります。ですから,神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせました。満ち満ちたもの原語では,「プレローマ」(πληροωμα)といいます。満たされているもの,完成,全うするという意味があります。
すべては,一切のものは,はイエスさまのうちにあります。
私たちは,異なる教えの人々のように,イエス様の神としての性質を引き下げたりしません。この他に何かが必要だとは思いません。私たちは,満ち満ちたお方,すべてをお持ちのお方,イエスさまによる十字架の救いがあり,そのイエスさまが私たちとともにおられれば十分なのです。

(2022年7月31日 石原 俊一 兄)

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