ただ一つの慰め、ただ一つの拠り所(ローマ人への手紙8章31~39節)

1 ただ一つの慰め

牧師の大切な仕事の一つに、死にゆく方々を看取るというものがあります。臨終の床で永遠のいのちの希望とお約束をしっかりと握っていただいて天国に送り出す。そういうまことに厳粛な死の現実を前にして、生ける神がおられ、天の御国があり、永遠のいのちが約束されている。このことをきっぱりと言い切って慰めを握って天国に送り出す、それはまことに重く、そしてまた大変尊い務めです。

かつて私が最期を看取った一人の老姉妹は、臨終が近づいている中でご本人もその時が近いことをわきまえて、私がベッドの傍らで「最後の準備をしましょう。何か不安や心配なことがありませんか」と尋ねると、「先生、私にはイエス様が着いていてくれるので何も心配なことはないよ」ときっぱりと言い切られ、その晩に天に召されて行かれました。
このような人生の態度を作ったものは何か。それが今日開かれている聖書のことば、ローマ書 8 章31節から39節に示されています。その締めくくりである38節、39節をお読みします。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」。

生きること、死ぬこと、これは誰一人例外なく向き合わなければならない人生のテーマです。そしてやがて地上の生涯を閉じる時に、すべてのものが取り去られて、手放さなければならなくなるまさにその死に際の時に、私の心の確信、その拠り所となるものはいったい何なのでしょうか。

2 キリストのものとされる

この人生最大の問い、究極の問いに対して、ハイデルベルク信仰問答は次のように答えています。「答:わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです」。体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしがわたしの救い主イエス・キリストのものとされていること、これが慰めだというのです。私は孤独に一人で立っているのではなく、キリストの恵みに与って、キリストのものとされている。それゆえにどのような境遇にあってもに生きる勇気を与えられ、またキリストのものとされているがゆえに、死に際にあっても確かな確信が与えられる。これが唯一の慰めだと教えられるのです。この答えを支えているものこそが、まさしく今朝のローマ書においてパウロが語っている御言葉です。

パウロは言います。31節、32節。「神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」。ま38節、39節。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」。
神は私たちの味方だ。その神が私を愛して、御自身の愛する御子イエス・キリストのものとしていてくださる。だからこのキリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離せるものは何一つない。これが私たちにとっての究極の拠り所、私を支え、生かすものなのです。

3 神がともにおられる

大切なことは、神を信じるということは苦難に遭わない人生を生きるということではな く、苦難の中でなお神を信じて、絶望せずに、諦めずに、投げ槍にならずに生きることのできる人生があるということです。私は牧師として、キリスト教の信仰の真髄を一言で言ってみよと問われたら、この言葉をもって答えとします。「わたしはあなたと共にいる」。この「わたしはあなたと共にいる」ということが具体的に姿かたちをとったのが神の御子イエス・キリストである。ここにキリスト教信仰の真髄があります。まことに厳粛な死の現実を前にして、それでもなお生ける神がおられる。あなたと共にいてくださる神がおられる。だから死をさえ恐れる必要がない。「わたしはあなたと共にいる」というお方とともにあるときに、私たちは決して失望せず、絶望せず、究極のところの一歩手前のところでなお朗らかに、余裕を持って、希望を持って生きることができる。ここに聖書が私たちに差し出す信仰ののびやかな世界があるのです。

4 生きる勇気、死に際の確信

私たちの生と死を貫くただ一つの慰めは、生きる勇気、死に際の確信は、私たちのために十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられた主イエス・キリストご自身です。そしてキリストは今も生きて私たちを支え、そして今日も私たちをその御手の中にしっかりと握り締めていてくださるのです。そしてこのキリストとの結びつきはますます強く、ますます堅く、そしてますます確かにされていくのです。 キリストのものとされた人は、このキリストにある神の愛から決して引き離されない。これほど深く、堅く、確かな愛の絆によって、私たちをご自身と深く結びあわせてくださっている主イエス・キリストを信じ受け入れてください。

(2022年10月9日 朝岡 勝 師)

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