五つのパンと二匹の魚(マルコによる福音書6章30~44節)

聖書の中には、イエス様の奇跡が沢山登場しますが、今日お話しします五つのパンと二匹の魚の奇跡は、四福音書すべてが共に記す奇跡です。とすれば、この五つのパンと二匹の魚の奇跡が弟子たちにとってよほど心に残ったのでしょう。

1 弟子たちの報告

イエス様に「使徒」として遣わされて、病人を癒やし、悪霊を追い出し、宣教した弟子たちは、イエス様の元に戻ってきて喜びと興奮をもって残らず報告しました

2 休むように

たくさんの働きを終え帰って来た弟子たちは、その後、出入りする人が多くて、食事を取る時間さえありませんでしたので、イエス様は疲れた身体をゆっくり休ませるために、何もない静かな「寂しいところ(新改訳第三版では「へんぴな所」)」に行かせようとされました。

3 イエス様と弟子たち

一行は、寂しいところに出掛けたのですが、すでに大勢の群衆が先回りして集まり大騒ぎになっていました。寂しいところまで押し寄せてくる群衆には、彼らを養い、守り、導いてくれる存在がなかったのです。イエス様は彼らをご覧になり深くあわれまれました。内臓を震わせて群衆の痛みや苦しみに同情されました。
一方、弟子たちは、自分たちの休みが台無しになってしまったという思いがあったのか、「皆を解散させてください。」とイエス様に提案しました。それも、「周りの里や村に行って、自分たちで食べるものを買うことが出来るでしょう。」と言うのです。原文では、「自分たちで」が強調されています。五千人プラスアルファの人達が、遅い時刻に、人里離れた寂しい場所で、自分で食事を用意できるでしょうか。弟子たちの提案は、群衆を案じているようですが、本心は、自分たちはもうおしまいにしたい、関わりたくないと思っているように感じます。
それに対してイエス様は、「あなたがたが」食べ物をあげなさいと語ります。弟子たちは、「自分たちが二百デナリ(一デナリは一日分の賃金)のパンを買って食べさせるのですか。」と反論します。こんな所で、大量購入出来るお店などありませんので、無理だという弟子たちのイライラを感じます。

4 弟子たちの不信仰

さて、この直前に弟子たちは、イエス様に遣わされて神様の大きな力を経験しました。ところが、イエス様に「あなたがたが、あの人達に食べるものをあげなさい。」と言われると、「無理です、足りません。」と言います。想定外の難題に、彼らの経験した神様の業の記憶や感謝は、飲み込まれてしまいました。イエス様は、時々、このように思いがけない言葉を掛けてこられます。イエス様は、弟子たちの手にある物を確認させ、素晴らしい奇跡に引きずり込まれます。

5 五つのパンと二匹の魚

イエス様に「パンはいくつありますか。行って見て来なさい。」と言われ、確かめてみると、五つのパンと二匹の魚がありました。(マタイとルカは、五つのパンと二匹の魚しかありませんと記す)弟子たちは、差し出された僅かなパンと魚が何になるのでしょうと、手元にある物の乏しさ嘆きます。これが、弟子たちの今の力、現実なのです。

6 弟子たちを用いて

弟子たちは、これだけしかないとパンと魚を差し出したのですが、イエス様が祝福し、皆が食べて満腹し、残ったパンくずは十二かごになりました。奇跡はイエス様が行われましたが、弟子を通してすべてが行われました。私たちの持っている力はちっぽけなもので、この世の現実の中では何の役にも立ちませんが、イエス様の手に差し出すときに、神様は私たちを用いて下さるのです。

(2022年10月16日 木田 和代 師)

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