天国のたとえ-結婚披露宴への招待-(マタイの福音書22章1~14節)

1 披露宴への招待を拒否した人

このたとえには,まず王様が出てきます。王様は,神さまを表しています。王さまは,結婚式の招待状をユダヤ人に送りました。この結婚式は天の御国をさします。招待客はユダヤ人です。神さまはすべてのユダヤ人を天の御国に招待されたのです。
しかし,このたとえでは,なんと招かれた客が披露宴への招待を拒否します。ということは,せっかく神さまが,ユダヤ人に天の御国へ招待したのに,ユダヤ人がそれを拒否したということです。その理由は,2つ書かれています。
1つ目が結婚披露宴より自分の都合を優先させたということです。実際に,ユダヤ人は,神さまの天国への招待を拒否しました。
2つ目はの理由は,ユダヤ人がイエスさまよりも自分の信念,正しさ,思い込みを優先したということです。6節に「残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。」とあります。ユダヤ人は歴史の中で実際にこのようなことを行いました。イエスさまを殺してしまいます。そして,イエスさまの弟子までも殺してしまいます。

2 披露宴に集められた悪い人,よい人

王はしもべたちに大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさいといいます,そこで,しもべたちは通りに出て行って、悪い人でも良い人でも(原典)出会った人をみな集めたので、 披露宴は客でいっぱいになりました。私たちのどこかに,天国に入るにはやっぱりいい行いをした方がよいという考えがないでしょうか。しかし,たとえの中で,王である神さまは,あえて悪い人を先に出しています。天国への招きと行いは無関係であることを示しています。
イエスさまが結婚披露宴にふさわしい礼服を与えてくださるからです。ガラテヤ人の手紙3章27節にこうかいてあります。「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。」とあります。(ガラテヤ人の手紙3章27節)イエスさまです。私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださったイエスさまが礼服です。ですから,イエスさまを信じたものは,キリストとという礼服をきる者になるのです。

3 結婚披露宴で礼服を着なかった人

王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いました。礼服は,ただで与えられます。ただ,感謝していただいた服を着ればよいのです。ところが,この礼服を無視して自分の服で,婚礼に参加した人がいたということです。この男は,自分の手による業を表に出し,イエスさまの救いを無視してしまうものです。すると,イエスさまの象徴である,礼服がじゃまです。礼服を着ると自分の業が隠れてしまいます。人に,見せることができません。誇ることができません。だから,礼服を着たくなかったのです。
私たちは,自分の手柄,自分の行為,自分自身に価値を置きたいものです。そして,いつのまにか礼服,イエスさまを小さなものにしてしまうものです。神さまは,そのような者に手足を縛られ,自分の働きが無価値であることを示され,暗闇の中に放り出されるような体験を与えることがあります。暗闇の中をさまようのは,本当につらいです。でも,それは,神さまの憐れみです。それは,神さまは,もう一度,礼服を着て婚礼披露宴に戻ってくるためのチャンスなのです。暗闇の中で自分の高慢さが分かります。イエスさまの救いがどれだけすばらしいか分かります。イエスさまの礼服の価値が分かります。そして,私たちが,「私は罪を犯しました」「礼服をください」と神さまのもとにいくとき,神さまは,やさしくほほえんで,礼服を無条件に与えてくださるのです。

(2022年11月13日 石原 俊一 兄)

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