上にあるものを求めなさい・思いなさい(コロサイ人への手紙3章1節~4節)

1 上にあるものを求めなさい

「上のもの」は、キリストに支配された生活の中で与えられる喜びや平安であり、きよさです。それは、自分の努力やがんばりでは得ることのできないものです。
パウロは、コロサイの人々が求めるべきなのは、下のもの(この世のもの)ではないこと、人間の努力や頑張りでは決して得ることの出来ないものであることを示しました。彼らの目を、地上とは全く異なる上のものに向けさせようとしています。
そして、パウロは、「コロサイの教会の人達、あなたたちは既に肉に死んでいるのです。あなたがはキリストとともによみがえり、キリストとともに生きているのです。ですから、自分の力に頼むのは、自分の頑張りに頼るのは止めなさい。キリストに支配された生活の中で与えられる喜び、平安、きよさをキリストに求め続けなさい。熱望し続けなさい。他飲み続けなさい。」と語っているのです。

2 上にあるものを思いなさい

「上にあるものを思いなさい。」という御言葉で、パウロが伝えたいことは、「キリストに支配された生活、そして、キリストの支配の中で与えられる喜びや平安、きよさがいかに価値あるものかを考え続けなさい。心を寄せ続けなさい。心を砕かれ続けなさい。」ということです。
そして、「地にあるものを思ってはなりません。」とパウロは繰り返し語ります。それは、コロサイ教会の人々がどうしても地にあるものを思ってしまうからです。それは、地にあるものに価値をおいているからです。地にあるもの、下のもの、この世のもの、そして、死んでいるはずの肉がよいものであると心秘かに思っているからです。自分がこの世で称賛されること、自分が立派であることを心に奥底で生き続けているからです。

3 キリストが再び来られるときの栄光を信じて

さらに、パウロが念を押すように、「あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。」と語ります。それは、パウロの目には、「だって、そんな目に見えない神の御支配を求めても何にもならないのではないか」「異なる教えは自分のがんばりや働きが目に見えるので周りの人にもよく分かる。異なる教えの方がよいのではないか」とつぶやくコロサイ教会の姿が浮かんだからです。それほど、コロサイ教会の人々は、目に見える格好のよさに心奪われていました。
そのようなコロサイの人々に、パウロは、キリストが再び来られる時がくること、そして、そのとき、そのとき、あなた方もキリストとともに栄光のうちに現れることを教えました。

神さまは、私たちにも「上にあるものを求め続けなさい、上のものを思い続けなさい」と伝えようとしています。私たちは、日々この御言葉に帰って行きたいと思います。日々、この世でどんなに価値があるように思えても上のものとは全く異なることをはっきりさせるのです。下のもの、この世のものを求め、そのことのみになってしまう私の弱さを認めるのです。そして、キリストに支配された生活、そして、その中で与えられる喜びや平安であり、きよさのにどれだけ価値があるかを思い、求めるのです。キリストが栄光のうちに現れ、私たちもキリストとともに栄光のうちに現れるときは近づいています。

(2023年3月19日 石原俊一 兄)

 

 

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