教会とは何か

1 MT「信仰告白」教会とは

私たちが所属するミッション東北「信仰告白」の「教会」には、「教会は、キリストをかしらとするからだであり、神によって召され、イエス・キリストを信じ救われた人々の集まりです。」と書かれています。

2 教会はイエスさまを信じ救われた人々の集まり

教会は、イエスさまを信じ救われた人々の集まりです。私たちは、みな罪人でした。神さまに反逆し、自分を主とし、自分の栄光を表すために生きていました。罪の結果私たちは裁かれなければならない存在でした。イエスさまが私たちの代わりに十字架について下さいました。神は私たちに対するご自分の愛を明らかにされました。これほど大きな愛はありません。それは、神さまがそれだけ私を価値ある存在として認めて下さったからです。教会は、このように、キリストの十字架によって、滅びから、神の怒りから救われたことを信じる者たちの集まりです。私の罪のために死んでくださったイエスさまの愛を信じる者の集まり、神によって愛されている者の集まりです。

3 教会はイエスさまをかしらとする体の各器官

教会はイエスさまをかしらとしたからだの各器官です。そのことは、私たちの教会の4つの姿を現しています。

(1)一人一人が大切な存在です。

一つの体には多くの器官があり、しかも、全てが同じ働きをしていません。それぞれに、大切な役割を持っています。それぞれが大切な役割を果たしています。私たち一人一人は互いに器官です。それぞれに同じ働きをしていません。一人として役に立たない器官はありません。それぞれが、教会の中で大切な役割をもち、大切な働きをしています。

(2)かしらなるキリストに絶えずつながっています。

体の各器官は、いつも頭である脳に情報を送ります。各器官である私たちもかしらに情報を送ります。困ったときには、「困りました。イエスさま」うれしいときには「うれしいです。イエスさま」痛みがあるときには、「痛いですイエスさま」絶えず、自分の状態をイエスさまに祈ります。イエスさまは、器官である私たちに一番よいことを示してくださいます。

(3)自律的に生きます、

体の各器官は、脳からの指令がなくても自律的に機能することができます。私たちも自分で考え、自分で判断し、自律的に活動する存在です。ただし、イエスさまの指令があったときには、それを聞いて行っていかないと、一つの教会として機能しません。

(4)一人の痛みはみんなの痛みとして受けとめます。

体の各器官は、一つの大きなネットワークになっています。同じように、教会員同士の情報のやりとりというのはとても大切です。体の器官の一つが痛むと体全体が痛みます。教会員一人の痛みはみんなの痛みです。互いに祈り合い、助け合い一つの体として歩んでいきたいと思います。

(2023年3月26日 石原俊一 兄)

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