キリストがすべて(コロサイ人の手紙3章5節~11節)

1 下にあるものを求めるコロサイ教会

パウロはコロサイ教会の「下にあるもの」を求める生き方を三点指摘しました。
一つ目は、前回指摘した「この世の中で自分をよりよく見せるために行う行為」です、二つ目は、「自分の欲や欲に任せて行う行為」です。それは、神さま以外のものに価値を置き欲しがる行為です。三つ目は、「怒りが引き起こす感情や行為」です。それは、神さまでなく自分を主とし自分の考えは絶対に正しいとすることから生じます。コロサイ教会の人々は、このような「下にあるもの」、すなわちこの世に向かい、この世のものを求めていました。

2 コロサイ教会への助言

① 自分に正直になりなさい

下のものを求めてしまうコロサイ教会への三つの助言をします。
一つ目は、自分に正直になることです。神さまを信じない人々は闇の中を生きています。だから、いくら自分が罪を犯してもその姿に気付きません。自分が罪を犯し続け、滅びに向かって歩んでいることがわかりません。自分がうそをいっていることも気付きません。ところが、神さまを信じている人には、聖霊の光の中を生きています。聖霊の光は自分の罪を照らします。神さまを信じている人は、自分が罪人であることを知らされます。自分が人からよく見られたい者であり、欲があり、神さまが愛された人を批判する存在であることを認めるのです。正直に、自分のありのままの姿を神さまの前に、人の前に差し出していくということです。

② 新しい人を着ていることを自覚しなさい

パウロの助言の2つ目は、新しい人を着ていることを自覚することです。イエスさまを信じた人は、イエスさまという新しい服を着ました。イエスさまのいのちをいただくことはできました。最初のころは、古い人を脱ぎ捨てたとはいえ、実は、人間の肉の性質の残骸が残っています。しかし、率直にその姿を認め、神さまの前にでていくとき、神さまは、神さまのかたちにしたがって新しく変えてくださいます。神さまが、肉の姿、罪の姿から神の子としての姿に変えてくださるのです。自分をごまかしてはいけません。正直になりなさい。そして、あなたがすでに新しい人を着ていることを自覚しなさい。新しい人を着ること肉に振り回されるどうしようもないあなた方が変えられるのです。とパウロは伝えようとしているのです。

③ キリストをすべてとして生きなさい

パウロは、コロサイ教会の人々が変えられ続けるその先のゴールは本当の知識、真の知識であると言います。真の知識とは、「キリストがすべて」です。一切のことをイエスさまに話、一切のことをイエスさまに委ね、一切のことをキリストがやってくださると信じて、イエスさまにこの身を任せていけばよい。これら真の知識です。キリスト者は、ただ一つの知識があれば大丈夫です。それは、「キリストがすべて」です。すべての問題をキリストに持っていけばよいのです。そうすれば、すべての問題をキリストが、イエスさまが解決してくださいます。新しい人を着た私たちは、私たちを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続けます。

3 上のものを求める歩み

私たちは、新しい人を着て、新しいいのちをいただいても罪の残骸が残っています。そのような肉の姿が明らかになります。しかし、そのとき、大切なことは。自分でその肉を殺そうとしないことです。自分で捨てようとしないことです。それから、自分にうそをついて、ごまかそうとしないことです。大切なことは、自分がすでにイエスさまという新しい人を着ていることを自覚することです。

そして、「キリストがすべて」という真の知識を握って歩むことです。その歩みの中で「イエスさま、また人からよく思われたいという肉が出てきました」「イエスさま。また、どうしようもない欲がわき上がってきました。」「イエスさま。また、人を批判しようという気持ちがでてきました。」とすべての問題をイエスさまに祈るのです。お話しするのです。そうすれば、「キリストがすべて」です。一切の問題をイエスさまが解決してくださいます。イエスさまが私を変えてくださいます。
このように歩むことが、パウロが勧めた「上にあるものを求める」ということです。

(2023年4月2日 石原俊一 兄)

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