さあ、目を上げて(創世記13章14~18節)

1 神さまの語りかけ①信仰をもって見上げなさい

アブラムには、目の前の荒野が自分の悲しい気持ちを表すように見えていました。ロトと別れた悲しさ、跡を継ぐ親族がいなくなった不安、そして、ロトの欲による選択はアブラムを悲しませたのです。神さまは悲しむアブラムに語りかけます。「アブラムよ。あなたには目の前の光景が悲しい荒野に見えるのだろう。しかし、私の目には見えるのだ。アブラムの子孫に満ちた世界が。この土地は私が支配する世界だ。この土地に私の心が実現する。私を信じなさい。そして、信仰の目をもって見上げなさい。」と。アブラムにとって、どれだけ大きな慰めと励ましになったことでしょう。神さまの言葉を信じて、その目を上げ、今いる場所から 北、南、東、西を見渡したとき、アブラムの目に見える世界はこれまでと全く変わりました。アブラムが見渡す場所は、神さまが御支配する世界です。この場所に神さまの御心がなります。今、神さまはアブラムとともにいるのです。アブラムの目には神さまが御支配する輝く世界が映ったのです。

2 神さまの語りかけ②信仰をもって歩きなさい

さらに、神さまは神さまは見るだけではない、歩みなさいと語りかけます。信仰は必ず行動になって現れます。そして、実際に歩み出すとき、改めて神さまの言葉を実感し、より深く神さまを信じられるようになるのです。もしかしたら、カナンの原住民にはいやな顔をされたかもしれません。それから、これらの土地は正式にアブラムの物にはなっていません。それでも、アブラムは神さまの言うとおりに動き、最終的にヘブロンのマムレに移りました。そこに、アブラムの信仰を見ることができます。「ヘブロン」という地名には「つながる」、「結合」という意味があります。アブラムが神さまの言葉を信じ、神さまの言葉のとおりに行動することによって、アブラムは神さまとのつながりを一層強めたのです。

3 アブラムの応答-祭壇を築く

そしてアブラムはこの地に祭壇を築きました。祭壇を表すヘブル語מִזְבֵּחַ (ミズベア)は「殺すところ」という意味があります。アブラムはこの祭壇で生け贄の動物を捧げました。この祭壇でアブラムは神を拝み、神と交わりました。アブラムは祭壇を築くことで神さまの愛に応答したのです。現実は全く変わっていません。目の前の荒野は荒野のままです。しかし、アブラムは信仰をもって、この荒野を見上げました。この場所が神さまの御支配しておられる場所であり、この場所に神さまの御心がなることを受け取りました。目の前は荒野でも、アブラムには神さまがともにおられました。祭壇という言葉が表すとおり、アブラムは、悲しみの心に死んで、神さまの御心生きるものになったのです。祭壇を通してアブラムの信仰はヘブロンに住む多くの人々への表明されました。

4 神さまの私たちへの語りかけ

この世界は荒野のように見えます。自分の弱さはどうしようもないように見えます。しかし目の前の世界は荒野ではありません。私たちの目の前の世界は神さまが御支配し、神さまの御心がなる世界です。この世に勝ってくださったイエスさまがともにいてくださる世界です。神さまを信じて目を上げましょう。神さまが語られたとおりに歩み出しましょう。そして、アブラムのように祭壇を築きましょう。もう動物を捧げる必要はありません。イエスさまが私たちの代わりに生け贄となり死んでくださっているからです。私たちの祭壇、それは、は、私たちが神さまを見上げる場所です。自分の思いに死んで神さまの御心に生きる場所です。そして、イエスさまをとおして神さまと交わる場所です。私たちは、祭壇によって、神さまとのつながりを強めていくことができるのです。

(2023年5月21日 石原 俊一 兄)

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