使徒信条講解13 われは聖霊を信ず①(ヨハネの福音書3章37~39節)
0 はじめに
今日は、使徒信条の「我は聖霊を信ず」という一節から、聖霊についてお話をしたいと思います。三位一体の神の第三位格、聖霊なる神は、イメージしにくいとか、よく分からないと仰る方々が多いのです。しかし、この隠れて見えないお働きをされる聖霊なる神を信じ、そのお方と共に生きてこそ、福音の素晴らしい現実を体験することができるのです。
1 聖霊に関する誤解
まず、聖霊に関する誤解をいくつか取り上げます。①聖霊は単なる力やエネルギーではない。聖霊を非人格的な力やエネルギーと考えている人々は案外多いのです。聖霊は、神ご自身ですから、このお方を金で買える手品の種のように扱うことは、恐ろしい罪です(使徒8:9)。②単なる様態の変化ではない。よく、三位一体を説明するのに、太陽や水のようなものだとと言われてきました。太陽は、天体、光、熱として体験されます。また、水も、気体、固体、液体として存在します。一見、なるほどと思いますが、正確に言うとこのような説明の仕方は、アタナシオス信条によって退けられた「サベリウス主義(様態論)」という異端の考え方なのです。理解することが難しくても、聖霊なる神を、三位一体の第三位格の神としてあがめることが大切です。③私たちをスーパーマンのようにする霊ではない。聖霊に満たされるというと、何か、奇跡をおこなったり、未来を予言したり、聖書を超える真理を啓示したりする能力が与えられるような錯覚を持ちやすいのですが、決してそうではありません。聖霊は、聖書のみことばを開き、イエス様を理解させ、私たちを神の栄光を現わす器として整えます。
2 聖霊の働き
使徒信条は、これまで、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず・・・」と天地創造の全能の神、そして、神が私
たちの救いのために遣わされた救い主イエス・キリストを信じると告白してきましたが、その神ご自身の救いの御業を私たち自身のものとして確信させ、体験させるのが聖霊なる神の働きです。聖霊なる神様こそが、私たちが救われなければならない罪人であることを悟らせ、イエス・キリスト様を信じ受け入れる信仰をお与えくださるのです。使徒信条に告白されているまことの信仰を、「私の信仰」としてくださるのは、聖霊なる神のお働きです。
3「我は聖霊を信ず」
私たちがこのように告白するのは、聖霊が、私たちにも、ウェスレーや、ルターや代々の聖徒たちと同じように、二千年前の十字架と復活という歴史の出来事をとおして、私たちにも、その恵み、その救い、その豊かな祝福を私たちの心に注いでくださることを知っているからです。今日、私たちもこの聖霊なる神を心から信じあがめたいと思います。
(2023年5月28日 説教・木田惠嗣師/DVDによる)