神の愛(ヨハネの福音書3章16~21節)

0 はじめに

ヨハネの福音書第3章16節の言葉は、多くの人々が暗唱して来た有名なみことばです。この一節に、聖書全体のメッセージが要約されています。宗教改革者マルティン・ルターは、この節を「小福音書」「福音書のミニチュア」と呼びました。

1 イエス様のことばかヨハネの解説か

新改訳2017は、3章15節の最後をカギかっこで閉じ、イエス様の発言は、15節までとし、16節からは、著者ヨハネの解説としています。しかし、欄外に「キリストのことばをここまでとしないで、21節のおわりまでとして訳すこともできる。」と注釈がついています。その根拠は、16節の最初に、原文では、「というのは」とでも訳すべき言葉があるからです。16節以降は前節までの内容と深いつながりがあります。イエス様はニコデモに、神の国に入るには、①御霊による新生(1~8)と、十字架が必要だ(9~15)と語り、その背後にある父なる神の愛(16~21)が語られるのです。

2 神の愛

「愛された」とは、心情的な愛ではなく、過去のある時に、ひとつの行為となって表現された愛を表します。愛の対象は「この世」:ヨハネの福音書で、「この世」とは、すべての人を照らすまことの光が来たにもかかわらず、この方を受け入れず、認めようとしない世(1:10)なのです。

3 愛の程度

しかも、「そのひとりごをお与えになったほどに」愛されました。神が人となってこの地上に来てくださっただけではありません。ひとり子の神が、私たちの罪をすべて背負って十字架上で死んでくださったのです。

4 愛の目的

① 滅びることなく

「滅びる」とは、もともと「見失う。失う。いなくなる。」という意味です。私たちにとって、失うという経験ほどつらいものはありません。私たちが死を恐れるのは、自分という存在が永遠に失われる、消えてしまうと直感するからです。しかし、神様は、私たちが永遠に失われることを惜しんで、御子を遣わし、信じる私たちに永遠のいのちを約束されました。

② 永遠のいのちを持つ

永遠のいのちは、神にある、キリストにあるいのちです。死んでからではなく、神を信じ、キリストを信じる人はすでに、永遠のいのちを持っているのです。

5 信じるということ

① 知的に受け入れることです

イエス様が、神であり、神のことばであり、永遠の昔から神とともにあったひとり子の神であることを認め、受け入れるのです。

② 未来を先取りすることです(ヘブル11:1)

③ 光であるイエス様に向かって歩むことです(20,21節)

人は本来、自分の本当の姿を見るのが怖いので、光には近づきません。けれども神を信じ、イエス様を信じた人は、なお、光に向かって歩み、悔改め、前を向くのです。これが、御子を信じ、真理を行うという生き方です。

(2023年6月4日 木田惠嗣 師)

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