主の名によって(コロサイ人への手紙3章15~17節)

0 はじめに

私たちの肉なるいのちは、すでに死んでいます。私たちは、いのちであるキリストにあっていきる者です。私たちをとおして私たちの内に住んでおられるいのちなるキリストが現れます。いのちであるキリストが現れると、その人の内に慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容、忍耐し合い、赦し合い、そして愛が表れます。

1  平和をもっておられるキリストが現れる

15節前半には、「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」とあります。「平和」という言葉、εἰρήνηには、平和、平安という意味があります。そして、そして、「キリストの平和」の「の」は、「キリストが持っておられる平和」という意味です。「支配する」という言葉の言語であるβραβεύω は、本来、競技の指揮、仲裁、決定を行う審判、つまり最終的な判断をするということを指しています。キリスト者といっても様々な問題にぶつかります。平和のうちに歩むためにはどのように判断したらよいかという課題がキリスト者には訪れます。そのとき、あなたの中に生きておられるキリストに委ねて歩み出すことです。判断することです。すると、そこに、キリストの御支配があります。平和をもっておられるキリストがそこに現れます。あなたをとおして平和が現れるのです。
15節には、「そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。」とあります。 「召されて」という言葉καλεω は、「呼ぶ」,「招く」「召す」という意味があります。神さまに会って集っている一人一人が神さまによって呼ばれている、招かれています。一人一人を通してキリストの平和が現れるように神さまは召してくださっています。

2 御言葉をとおして働かれるキリスト

キリスト者の歩みで大切なのは、キリストのいのちがその人をとおして現れることです。そのために必要なことは、キリストの御思いがなにかを知ることです。ですから、キリストのことばが、一人一人のうちに豊に住むことが重要です。教会という共同体の中で教え忠告し合う事も大切です。また、詩と賛美と霊の歌により神に向かって歌うことも大切です。音楽には、必ずメッセージをがあるからです。御言葉をとおして、音楽をとおして、その人に住んでおられるキリストが一層豊かに働かれます。

3 主イエスの名において行う

さらに、パウロはすべてのことを主イエスの名において行いなさいといいます。私を代表しているのは、私ではない。主イエスが私を代表しています。ですから、あらゆる行動を、あらゆる問題を代表者イエスの問題として行って生きなさいということです。私たちの主はイエスです。小さな問題でも課題として、イエスさまに祈れば、それは、イエスさまが主となって解決してくださる問題になります。

私たちの歩みの中で起こるすべてのことが主イエスの名においてなされる出来事です。「イエスさまこれから、このことを行いますどうかよろしくお願いします。」とイエスさまに委ねて、歩みだし、判断していくと、私をとおしてイエスさまが働かれます。イエスさまのことが平和のうちになります。
そこに、主の栄光が表れます。主の御名が崇められます。私たちは、そのようなイエスさまの働きをただ、見て喜ぶだけです。感謝するだけです。主イエスの御名で行い、私をとおしてキリストが現れます。それこそ、パウロが求めた 、本当の福音に堅く立ち、福音に根ざした生活です。私たち自身や私たちの教会が目指す歩みです。

(2023年7月2日 石原 俊一 兄)

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