日々の祈り(コロサイ人への手紙4章2~6節)
1 たゆみなく祈りなさい
パウロは、コロサイ教会の信者に、「たゆみなく祈れ」と命じます。「たゆみなく」という言葉προσκαρτερέω には、主に3つの意味があります。1つ目は、「たゆみなく」。止めることなく祈り続ける祈のことです。ポイントは、サンドイッチの祈りです。活動の前と後を祈りでサンドイッチするのです。2つ目は、「ひたすら」。ただ神さまだけに心を向ける祈りです。ポイントは、「神さま…」をつけて祈ることです。「頭にきた」と思うのではなく、「神さま、頭にきました」「神さま、今とっても嬉しいです」と、ひたすら神さまに向かって祈りきるのです。3つ目は、「断固として」。ただ、神さまを信じ、他の者には目を向けずに、確信をもって神さまに向かって祈るという祈りです。たゆみなく祈る者には、神さまからの祝福があります。神さまのことがなっていきます。
2 感謝をもって祈り、目を覚ましなさい
パウロは、「感謝をもって祈れ 」と命じました。それは、神さまが一切のことをなして下さるという信頼があるからです祈ったら後は大丈夫だという信頼は感謝の心を生みます。
そして、パウロは、「目を覚ましていなさい。」と命じました。「目を覚まして」という言葉には油断のなく、見張って、用心して、という意味があります。パウロは、キリスト者を神への完全な献身を減らし、価値の低いものに、捕らわれてしまう危険に対して用心しなさいというのです。
3 働き人のために祈りなさい
パウロは、コロサイの教会に、パウロたちのために、祈って下さいとお願いします。パウロは、神さまに信頼するだけでなく自分の弱さを実感していました。だから、自分の弱さを平気で人の前に出すことができました。
パウロがお願いしたことは、3つあります。1つ目は、「神がみことばのために門を開く」。神さまがみことばを多くの人々に伝えることのできる場と機会を願いました。2つ目は、「キリストの奥義を語れるように」です。「奥義」のギリシャ語、μυστήριον は、「キリストにおける神の救いの計画」です。パウロが語りたいことは、キリストの救いのことだったのです。3つ目は、「この奥義を、語るべき語り方で明らかに示すことができるように」です。キリストの救いはその内容に大きな力がありますが、パウロは、それを伝える方法も大切であることを自覚していたのです。
パウロは知っていました。働き人のために祈る者に、神さまは豊かに祝福してくださることを。他の人のために祈るとその祝福が自分に返ってくること、他の人のために行動するとその祝福が自分に返ってくることは、信仰の法則です。
4 教会外の人々のために
パウロは、「外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。」と命じます。知恵が必要なのは教会外の人々にクリスチャンとしての証のためです。日常生活の中で、たくさんの考え方と選択肢を踏まえ、愛をもって行動するためには知恵が必要です。
また、「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。」と命じます。「親切」は、χάρις という言葉が使われています。パウロは、「あなたがたの言葉が恵みに生きる者にふさわしい言葉であるように」といったのです。「塩味」という言葉でパウロが伝えたかったことは、味付けです。塩による味付けはその食べ物が持っている本来の味を一層引き立てます。パウロはあなた方の言葉で相手のよさが一層生きるようにしなさいと言っているのです。
5 終わりに
今日は、クリスチャンが日常の中に一歩一歩歩んでいくためにとても大切な助言をいただきました。こうやって見てくると、やはり、クリスチャンの日常で大切なのは「日々の祈り」あることが分かります。そこに神さまの恵みと祝福があります。
(2023年8月13日 石原 俊一 兄)