主によって「変えられる」恵み(コリント人への手紙第一15章50~58節)

1 肉のからだのままでは神の国を相続できない

パウロは、私たちの血肉のからだは神の国を相続できないといいます。ユダヤ人の慣用句によると、肉と血という組み合わせは「はかないもの」を強調します。相続するとは神の国を受け継ぐという意味があります。人間のはかないからだでは神の国に入ることはできないというのです。パウロは、同じ事柄を「朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」と説明します。「朽ちるもの」という言葉には、「有機物の分解、劣化、腐敗」という意味がありますが、「不道徳な行為によって個人を破滅させること」という意味もあります。罪のからだをもっているすべての人間は、「不朽性、不死性」である神の国に入ることはできないということです。

2 信者はみな「変えられる」

罪人であることを認め、イエス様の十字架による救いをいただいた私たち信者は、神の国に入ることのできるからだに「変えられ」ます。「変えられる」ことには4つの特徴があります。

(1)生きている人も死んでいる人も「変えられる」

イエスさまの再臨のとき、既に死んでしまった信徒は神の国に入ることのできるからだに「変えられ」ます。それだけではありません。再臨のとき、生きている信徒もかえられます。すべての人が眠る(死ぬ)わけではありません。しかし、すべての信者が「変えられ」ます。

(2)ほんの一瞬で「変えられる」

信徒は、再臨のとき終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。「たちまち」の言語εἀτόμῳ は、これ以上分けることが出来ない様を示します。、ἐν ῥιπῃは英語では、in a twinkling of an eye (目の瞬きのうちに)という意味があります。これは、時間をかけて、努力し続けることで神の国に入ることができないことを示しています。

(3)ただ神さまの恵みにより「変えられる」

信徒は、朽ちるべきものが、朽ちないものを着ることで変えられます。当時、婚礼に参加する者には、ただで礼服を与えられました。信徒は朽ちるべき者ですが、ただで与えられる礼服(朽ちないもの)を着ることで変えられます。それは一方的に与えて下さる神さまの恵みです。

(4)死に勝利するからだに「変えられる」

朽ちないものである礼服はイエスさまのことを指しています。キリストは私たちの罪のために十字架にかかって死なれました。しかし、三日後によみがえりました。罪に打ち勝ったキリストは、よみがえりによって朽ちないもの、死なないものになりました。神さまが与えて下さる礼服は死を覆います。死を飲み込みます。私たちは、死に対して勝利するからだに「変えられ」るのです。

3 「変えられる」ことに希望をもつ者の歩み

パウロは、「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。」と勧めます。「励みなさい」の言語περισεύω は「豊かになりなさい」と意味を持っています。私たちは今も罪あるこの世を生きています。私たちはキリストを信じていても、みな「いまだ」朽ちゆくからだを持っています。しかし、私たちは、希望を持っています。死から勝利された主キリストを受け入れている私たちは、「すでに」私たちのからだは「変えられる」ことが約束されているからです。私たちの労苦は主にあって無駄にはなりません。キリストを信じるわたしたちのからだが「変えられる」こと、そして神の国に入れていただくことに希望と感謝をもつ私たちのわざは豊かになるのです。

(2023年8月20日 石原 俊一 兄)

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