パウロの祈り(エペソ3章14~21節)
0 はじめに
パウロは手紙の中でエペソの人々の現状を語り、神の恵みを説く中で感極まり、筆を置いて祈り始めます。信仰的財産とも呼ぶべき、エペソ書3章のパウロの祈りの中から三つのことを学びたいと思います。
1 祈りは既に始まっている
一つ目は、「祈りは既に始まっている」ことです。今日の箇所でパウロがエペソの人々に先立って祈っている姿が描かれています。祈りに関し、まず私たちが自覚すべきことは「私たちは祈られている」という現実です。別の言葉で表現すれば「聞く祈り」ということになるでしょうか。エペソの人々にとってまず大切なことは、パウロがエペソの教会のためにささげている祈りにじっくりと耳を傾けることでした。私たちもパウロの祈りを思い巡らす時、自分自身もこの祈りに含まれていることを感じるのではないでしょうか。私たちは祈りを考える時、まず「何を」「どのような言葉で」「どのくらい祈るか」に心を向けますが、しかし「既に祈られている」という霊的な現実から始めるとき、私たちの祈りは安定した土台を得ることになります。
2 最も必要な祈り
二つ目は、「最も必要な祈り」です。パウロはエペソの人々のために、「内なる人が強められるように」「心にキリストが定住するように」「キリストの愛の深さを知るように」と祈っています。これはパウロが客観的な視点から見た、エペソの人々の霊的必要と捉えることが出来ます。私たちは案外自分の必要について、誤解していることがしばしばです。家族や友人、仕事の仲間などの方が深く理解していることが多いのではないでしょうか。ですから、パウロがエペソの人々に祈り求めた必要は、私たちの信仰生活にとっても祈り求めなければならない大切なポイントだと教えられるのです。
3 すべての聖徒とともに
三つ目は、「すべての聖徒とともに」です。コロナ過において教会は様々なダメージを受けましたが、その一つに「教会に行かなくても信仰生活を送れる」という考えが広がった点が挙げられるように思います。YoutubeやZoomなどを上手に使えば、私たちの信仰生活は自分一人でも完結できると、というような感覚を持つのかもしれません。しかし、パウロは私たちが神の恵みや栄光を見るのは、聖徒たちとの繋がりの中であることを教えています。
4 おわりに
祈りにおける三つのポイントを見る時、私たち自身もパウロのようにとりなしの祈り手に加わるように期待されていることに気付かされます。私たちがその深い必要性を知っている人々のために祈り続けていく時、その祈りの中で神の愛の深さを知る者と変えられていくのです。
(2023年8月27日 高橋 拓男 師)