祈りの言葉に生きる(ヤコブ書5章13~18節)
1 祈りの言葉に生きる招き
ヤコブの手紙の特徴の一つは、私たちの語る言葉についての注意が多いことです(例:3:1-12、4:11-12、5:12)。そんな手紙が締めくくりに祈りを勧めるのは意味深いことです。この手紙は、私たちがクリスチャンとして祈りの言葉にこそ生きるようにと招いているのです。しかも私たちは、どんな時にも祈るように招かれています。苦しい時は苦しい、嬉しい時は嬉しいと、自分の思いを率直に神様に向かって表して良いと語られています(13節)。私たちはそのようにして、どんな祈りも聞いてくださる神様との交わりに生きるように招かれているのです。
2 具体的な交わりの中で
また、私たちはこの祈りを、閉じられた一人の世界で実践するように促されてはいません。手紙は一貫して教会の交わりに対して語られ、共に祈ることを促しています。14節では病気という具体的な苦しみに対して、「祈りなさい」(12節)ではなく「祈ってもらいなさい」(14節)と語られます。しかも、訪問してオリーブ油を塗るという、顔と顔を合わせた交わりが勧められています。これは病気の治療の一環であると同時に、イエス様の臨在とその力を求める祈りの「型」でもあります(参考:マルコ6:13)。同じように、私たちは具体的な交わりの中で、神様の臨在と力が表されることを信じて祈るように励まされているのです。実際にそのような交わりを持つためには、それなりに時間と労力が必要です。しかし、イエス様が私たちのためにこの地上の生涯をあゆんでくださったように、私たちもまた、時間も労力も惜しまずに兄弟姉妹の傍に立ち、祈りあう交わりを作りたいと思います。
3 祈りの力
そのような交わりの中にこそイエス様の臨在と力が表されると聖書は語ります(15-16節)。病気を癒やし、罪を赦す権威を持っているイエス様の力です。言い換えればそれは、肉体的な必要にもたましいの必要にも応え、あらゆる意味での「救い」を与えることのできる力です。私たちは「祈りの力」という時に、そのようにあらゆる領域に祈りの力が働くことを信じきれないことがあります。神様が働きそうな領域と、あまり働かなそうな領域を区別して、祈るテーマと祈らないテーマを持ってしまうことがあります。しかし、聖書が語るのは、イエス様が「すべての必要に」 応える力をもっているということです。それは決して、私たちの願い事がそのまま叶うということを意味しませんが、人の思いを超えて、神様は御心のままに応えてくださると約束しているのです(17-18節)。私たちはこの事実を覚えつつ、祈りの言葉にこそ生き、共に主の臨在と力を経験していく者とされていきましょう。
(2025年2月9日 永井 創世 師)