律法の真意1「殺してはならない」②(マタイの福音書5章23~26節)

1 神との和解・人との和解

イエスさまは、祭壇の上に献げ物をするとき、もし、兄弟と和解出来ていなかったことに気付いたら、まず兄弟と和解しなさいと命じます。「兄弟が自分を恨んでいること」とありますが、原語は、「あなたに対して何か持っていたのなら」です。「持つ」は単純に物をもっというときに使う言葉ですが、ここでは、あなたに対して何か不満のような心をもっていること、つまり、あなたとの人間関係がうまくいっていない人がいることに気付かされる場合について語っておられるのです。
イエスさまが神さまより先に兄弟と和解しなさいと語られる理由は2つあります。一つ目は、兄弟との和解を軽んじる信仰者がいるからです。しかし、人との問題は、人との間で解決しなければ真実な信仰ではありません。二つ目の理由は、イエスさまの十字架によって、神さまのとの和解は用意されているからです。人は、人と和解することで、神さまと和解がいかに素晴らしいことであるかを知ります。ですから、イエスさまは、人との和解を先にしなさいと語られるのです。

2 私達の人生は「和解」の歩み

私たちは、人との不和を示され、和解のために歩み出してみると分かることがあります。それは、和解が非常に難しいということです。「和解」という言葉の原語には、「交換する」「他のものと変える」という意味があります。和解とは、「敵意」を友情に変える事です。そのためには、誰かが変わらなければなりません。しかし、自分が変わることは大変なことです。自分の思いを神さまに訴え、神さまに変えていただく必要があります。自分が相手から赦されるということは、さらに困難です 。

3 神との和解はすみやかに

25節〜26節は、場面が切り替わり、別なたとえに入ります。「あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。」ここでイエスさまが語っているのは、神さまは、律法をとおして、私達を訴えるということです。イエスさまは、23~24節で、神さまの前に人と和解するように命令したのにもかかわらず、速やかに神さまと和解しなさいとお語りになります。それは、終わりのときはいつ来るかわからないからです。世の終わりはいつくるか分かりません。私達にいつ死が訪れるかわかりません。そのとき、神さまと和解していなければ、裁きを受けることになります。ですから、イエスさまは、一刻も早く神さまと和解しなさい。イエスがあなたとともに歩んでくださっている今、和解しなさいと命じておられるのです。

4 「殺してはならない」の真意-「和解しなさい」-

しかし、わたしたちはまず、人と和解するというところでつまずきます。人と和解できなければ神さまとの和解が出来ません。イエス様のお言葉に従い歩み出して、気づかされることは、自分の罪はいかに大きいかということです。私たちは、「和解」という神さまの御心に歩むことができない者であるということです。とても人を責めることができません。私達自身の罪があまりにも大きいからです。そのような私達に必要な祈りはやはり、取税人の祈り(ルカ18)、「神さま、罪人のわたしをあわれんでください」という祈りです。しかし、その場所で神さまは、私たちの和解を与えてくださいます。自分の力ではどうすることできない罪は、神の子イエスさま十字架によってゆるされました。いっさいは神さまの御業です。
このように見てくると、「殺してはいけない」という律法の真意は、「和解しなさい」ということが分かります。この世では、人との不和がすべて解消することはありません。しかし、やがて、神さまが与えてくださる後の世、神の国では不和がありません。すべて和解の世界です。その世界で私達は、「殺してはならない」という律法の真意が現実のものになるのです。私達は、神の国での歩みを期待しつつ、この世でも「殺してはならない」という律法の真意「和解しなさい」という御言葉に従っていきたいと願います。

(2025年3月9日 石原 俊一 師)

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