思いを重ねて(コロサイ人への手紙4章10~18節)

1 「よろしく」に込めた思い

今日お読みした箇所のキーワードはなんといっても、「よろしく」です。それは、わずか9節の文章に「よろしく」という言葉が5回も出てくることから分かります。まず、パウロとともにいるアリスタルコが「よろしく」と言っています。「よろしく」の原語はἈσπάζομαιです。この言葉は、はもともと、人や物に対する好意や歓迎、尊敬、愛情を表す言葉でした。手を差し伸べる、抱擁する、接吻する、お辞儀をするなども含まれます。
パウロは、コロサイ教会を愛し、コロサイ教会の課題が解決されることを目指してこの手紙を書きました。アリスタルコは、そのパウロの思いに自らの思いを重ねました。マルコもまた自分の思いをパウロの思いに重ねました。そして、ユストと呼ばれるイエス、愛する医者のルカ、デマスも「よろしく」といってパウロの思いに自らの思いを重ねました。
私達は、自らの思いをἈσπάζομαι という言葉に込めたパウロの同行者の姿を、一つの教会を愛するクリスチャン模範としたいと思います。

2 エパフラスの思いに重ねて

もう一人、 Ἀσπάζομαι と言った人物がいます。エパフラスです。エパフラスは、コロサイ教会に対する思いは他の5人とは違います。なぜなら、このエパフラスこそがコロサイ教会を創り、導いてきた指導者だからです。エパフラスは、渾身の思いでコロサイ教会を生み、育てて来ました。ところが、コロサイ教会はエパフラスが思ったような方向にはいきませんでした。コロサイ教会の人々が異なる教えに惑わされてしまったのです。このことに、エパフラスは大変心を痛めました。パウロは、エパフラスの思いをよく知っていました。ですから、コロサイ人への手紙は、パウロがエパフラスの思いに自分の思いを重ねて書いた手紙だということができます。

エパフラスが祈った「成熟した者」とはどのような者でしょうか。イエスさまは,神の子です。全きお方です。ですからイエスさまの愛の中を生きるその人は全き者です。ですから、成熟した者とは、「イエスさまの愛の中にとどまり続ける者」のことです。イエスさまの中に平安と喜びと感謝があります。イエスさまの愛に留まり続ける歩みこそが平安と喜びと感謝の歩みです。

3 パウロの思いは神さまの思い

そして、コロサイ人への手紙は最後の1節を迎えます。 パウロは、自身が牢につながれているといいます。「牢に」という言葉は、鎖と訳すこともできます。パウロは牢につながれ、さらにその手には鎖につながれていました。パウロは、自らの手であいさつを書こうとすると、シャラ、シャラと鎖が音がなりました。
パウロは真に成熟したクリスチャンでした。ですから、手に鎖をかけられ、音を立てながら署名するという、本当に極限ともいえる困難な状況の中でパウロの心はイエス様の愛の中に留まっていました。パウロの心には、平安と感謝と喜びに満ちていました。

そのパウロは、「恵みがあなたがたとともにありますように。」と祈りました。パウロやエパフラスの思いは神さまの思いです。神さまのコロサイ教会に対する愛は言葉に表すことのできないほど大きなものでした。
神さまの熱い思いは私達の教会にも注がれています。パウロやエパフラスの祈りによる求めは神さまの求めです。神さまは熱い思いで教会が成熟することを願っておられます。どんな問題に直面しても,イエスさまから離れずイエスさまにしがみついて生きていく教会、歩んでいく教会を求めておられるのです。

(2023年11月26日 石原 俊一 兄)

 

 

 

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