愛は…(コリント人への手紙第一13章4~7節)

1「愛は○○」グループ

「愛は寛容です」とあります。新共同訳聖書には、「愛は忍耐強い」と書かれています。原語では、「愛は忍耐強い」という意味が強く出ています。ここでいう「寛容」とは本来ならばとうの昔に裁かれ、滅ぼされてよい存在の私たちがその怒りと裁きを忍耐強く遅らせているということです。
次に、「愛は親切です。」とあります。イエスさまは、すべての町や村で会堂で教え、御国の福音を述べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされました。また、群衆を深く憐れまれました。神さまの愛ἀγάπη は、喜んでいる者とともに喜び、泣いている者とともに泣くイエスさま姿に現れているのです。

2「~しません」グループ

一つ目は、「人をねたみません」です。原語は、「憎しみや嫉妬で、沸騰する」という意味です。神さまは、一人一人に神さまからの賜物をいただいています。その人だけに神さまがその人らしいよさを与えてくださっています。神さまがその人に与えてくださる賜物を感謝し、人を生かし、人に仕えることができるのが愛です。
二つ目は、「自慢せず」、原語は、「所有を強調する」です。三つ目は、「高慢になりません。」です。この言葉には、「吹き上げる」「ふくらます」「うぬぼれる」を意味します。2つとも自分をより高くよりよい存在として示したいという思いが見て取れます。愛は、自らを示そうとするのではなく、神の栄光を表そうとします。
四つ目は、「礼儀に反することをせず」ということです。原語は、適切な形に従っていない、行儀悪くふるまうなどといった意味があります。愛は機転を利かせて相手に不愉快な思いをさせません。
五つ目は、「自分の利益を求めず」です。直訳は、「自分自身を求めない。」です。これまで見てくると愛でないものは、自分のことばかり考えていることがわかります。
六つ目は、「苛立たず」です。原語は「怒りに流される」です。ここで、問題にしているのは、自分の権利が損なわれた時の苛立ちです。
七つ目は、「人がした悪を心に留めず」です。「心に留めず」には、記録しないという意味があります、愛は記録しないのです。愛は、人がするすべての悪事を注意深く見て、そのことで人を恨んだりしません。
八つ目は、「不正を喜ばずに」ということです。これは、九つ目の「真理を喜びます」をセットにして読むことができると思います。不正は人を幸福にしません。真理ことが人を幸福へ導きます。ですから、愛は不正を喜ばずに真理を喜ぶのです。

3「すべてを…グループ」

第3グループ、すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍んでくださる神さまの愛がなければ私たちは救われることはありませんでした。今も神さまの愛は私たちの上に注がれています。
そして、私たちが神さまの愛を心から信じ、受け入れるとき、私たちも神の愛ἀγάπηで兄弟姉妹を愛することができるように導かれます。私たちが太陽の光のような神さまの愛を前面に受ける満月のように愛によって輝くことができるようになります。

ですから、私たちは、ありのままの姿で神さまに向かうことができます。自分には愛がないその場所でイエスさまの愛をいただいていきましょう。そして、聖書に書かれているἀγάπηの愛が、いつか自分にも現れることとを願い求めていきましょう。それが、神さまの御心です。

(2023年12月31日 石原俊一 兄)

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です