一番優れているのは愛(コリント人への手紙第一13章8~13節)

 

1 愛の永続性と完全性

パウロは愛が優れていることを2つの面から説明しています。一つめは、愛の永続性二つ目は愛の完全性です。

愛の永続性について説明しているのが、8節です。2017では、「愛は決して絶えることがありません。」、新共同訳では、「愛は決して滅びない。」と訳しています。
やがて、イエス・キリストが再びこの世界にやって来るときがあります。イエス・キリストは愛そのもののお方です。イエス・キリストは永遠です。ですから、愛も決して絶えること、滅びることはありません。預言はイエス・キリストを指し示すことです。知識はイエス・キリストの内にすべての知識があります。異言はイエス・キリストと交わるために与えられた賜物です。ですから、預言も、異言も知識もイエス・キリストが来られたとき、その役割を終えます。

愛の完全性を説明しているのが、9~10節です。パウロは、私たちが知っている知識や預言はほんの一部分でしかないといいます。そして、愛そのものお方であるイエス・キリストが再臨のとき、完全な知識であるイエス・キリストがおられるので、今私たちが知っている部分的な知識はその役割を終えるのです。

2 愛の優越性

さらに、パウロは、再臨のときに明らかになる愛の永続性や完全性にくらべれば、今、コリントの人々が得ている知識や預言がいかに小さいものかを2つめの例えで示します。

一つめは幼子と大人の例えです。今あなたがたが得ている知識や預言が幼子が話し、思い、考えているようなものです。再臨のとき、あなた方は遙かにすぐれた大人の話、思い考えが出来るのです

二つめは、鏡の例えです。パウロが手紙を書いた当時、鏡はコリントの町でよく精算されていました。しかし、当時の鏡は今の鏡のように完璧に映すものではなく、ぼんやりと映すことしかできませんでした。あなたがたが議論の根拠としている知識や預言は、鏡にぼんやり映しているようなものです。でも、神さまはあなたのことを完全に知っているのですよ。再臨のとき、あなたは、今あなたが、神さまに知られているように、完全な知識を知識を持つというのです。

3 一番すぐれているのは愛

13節では、信仰と希望と愛の関係を説明します。愛なるお方キリストが本体です。キリストが私たちに愛を示して下さいました。十字架の愛です。私たちの罪の身代わりとして死んで下さった愛です。その愛によって、私たちは神さまを信じることができました。神さまの愛を信仰をもって受け入れることができるようになりました。さらに、キリストが愛されたように、私たちも人を愛することが出来るようになりました。そして、今の現実がどれだけ苦しくても、再び、愛なるお方の本体のキリストがこの世にこられることを希望をもって待つことができます。
つまり、愛なるお方キリストが本体で、それを信じ受け入れるのが信仰、そのキリストを希望もって待つのが希望です。ですから、信仰はとても大切です。希望もとても大切です。しかし、何よりも大切で一番優れているのは何かと言えば愛なのです。
しかし、せっかくパウロが真理を語っているのに、教会はこれまで同じ失敗を繰り返してきました。そのぐらい、この問題は難しいのです。人間は、一度自分が正しいと思うとその正しさにとらわれます。そして、愛が正しさに優先することを忘れてしまいます。ですから、私たちは、絶えずこの御言葉をもって、愛よりも預言、知識、異言、信仰、希望による正しさが上回っていないか、神さまに問うていきたいと思います。

(2023年1月7日 石原俊一兄)

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