道であるキリスト(ヨハネの福音書14章1~6節)

1 心を騒がせる

私たちの人生には、心を騒がせる出来事が起こってきます。2019年12月に中国湖北省武漢で発症した新型コロナウイルス感染症は得体の知れないもので世界中が恐れました。また、今年の元旦に突然起きた能登半島地震も恐れを感じ、心を騒がせました。今日の聖書の箇所は、最後の晩餐の席上で、イエス様が語られた長い説教(14~16章)の最初の所です。イエス様は、夕食の席上で、ご自分の死をほのめかされました。そして、弟子の中に裏切る者がいること、ペテロの三度の否認を予告されました。その話を聞いていた弟子達は、イエス様のただならぬ雰囲気に動揺し、心をざわつかせていたのではないかと思います。心を騒がせるのは、私たちや弟子達だけではないのです。▼2 心を騒がせられたイエス様▼  イエス様も三度心を騒がせられました。

① ヨハネ11:33

イエス様は、ラザロが死んだのを悲しんでいるマリアやマルタをご覧になって、同情して涙を流されますが、それ以上に、イエス様は人が死と死の力に支配されている姿に、憤りを覚え、心を騒がせられたのです。

② ヨハネ12:27

イエス様は、ご自分の死を語るときに、「今わたしの心は騒いでいる。なんと言おうか。」と打ち明けておられます。それは、十字架上の死の苦しみとそれに伴う肉体的な苦難を予想しての悩みではなく、私たち人間の罪の重みがイエス様の魂を苦しめたのです。

③ ヨハネ13:1

イエス様が最後まで愛されたユダが、イエス様の愛の呼びかけと闇の力との板挟みになりながら、闇に飲まれていく闇の力の恐ろしさに、心を騒がせられました。

2 信じなさい

今までイエス様と共にいて、神の子の姿を見てきた弟子達ですがイエス様がいなくなる事を察し、また、イエス様のなさることが分からなくて不安になっています。その弟子達に「あなたがたは、どんなことがあっても、心配したりあわてたりして はいけません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(リビン グバイブル)と語られました。福島聖書教会も私たちも、今に 至るまでの歩みを振り返ってみると、神様がどんなに善い方か を確認することが出来ます。

3 信じる根拠

① 場所を用意してくださる

イエス・キリストによって救われた者は、死が分からなかったり、また、死が終わりであったりはしない。イエス様は、十字架と復活、昇天により、地上の生涯を終えた私たちが、父なる神もとで住む場所を用意してくださっているのです。

② また来て下さる

父なる神様のもとに行かれたイエス様は、再臨して戻ってこられ私たちを迎えて下さいます。それは死に支配されることのない永遠のいのちを、イエス様と共に生きる者とされるのです。その時が救いの完成です。

③ イエス様は道です

イエス様が語っておられたことが理解できなかったトマスは、イエス様にどこに行かれるのか、そこに行く道はどこにあるのかと尋ねます。イエス様は「わたしが道だ」と答えられました。イエス様の十字架を信じるときに、私たちの罪は赦され、義と認められ、神様の怒りから逃れることができるのです。その道は、神様から遠く離れていた人間を、永遠の神様につないでくださる道なのです。道なるイエス様にとどまる中で、真理を知りいのちを知ることができるのです。心を騒がせることの多い世の中ですが、私たちは、道であり、真理であり、いのちであるイエス様のもとにいます。イエス様を遣わしてくださった父なる神様のもとにいます。ひとり子であるイエス様を通して父なる神様が用意してくださっている将来の救いを待ち望みつつ、救いの完成を目指していきましょう。

(2024年2月18日 木田 和代 師)

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