人の罪と神のご計画 (創世記3章1~15節)

1 人はどのようにして罪を犯したか

人を誘惑し、罪へと導いたのは蛇です。蛇はサタンに用いられ、巧みに人の心を揺さぶります。神は、「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい」と言われました。しかし、蛇はエバにに「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」と全く反対のことをいいました。サタンの目的は、ただ一つ。神と人の関係を壊すことでした。
神はアダムに、「その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」といいました。しかし、エバは、「あなたがたが死ぬといけないからだ」と蛇に答えました。このように、罪への第1歩は、「御言葉を軽んじる」ということす。サタンは、御言葉を軽んじたエバに「あなたがたは決して死にません。」攻撃しました。罪への第2歩目は、「御言葉に反した物をよさそうで、慕わしく見えた」ということです。神さまが禁じた食べ物です。神さまが止めたもの、決して良くない物、自分に害を与える物がよく見えてしまう。目に慕わしく見えてしまう。そして、手を出したくなったのです。罪への第3歩は、「高くなろうとした」ということです。サタンは蛇ととおして、「神のように」なると誘惑しました。その言葉を受けて、エバは神のようになりたくなったのです。高くなりたくなったのです。残念ながら、エバはサタンの誘惑に負けてしまいました。それだけではありません。エバの誘いに乗り、アダムも食べてしまいました。
人はアダムとエバの罪の血を引き継いでいる者です。神さまの言葉を軽んじることは神さま御自身を軽んじることです。このことは深く心に留めたいと思います。

2 罪の結果どうなったか

罪の結果の1番目は、自分たちが裸であることを知り、裸であることが恥ずかしいと思ったことです。アダムとエバはもともと裸でしたが、裸であることに何の問題も感じていませんでした。2人は神の愛と守りの中で、何一つ心配することのなく生きていました。しかし2人は、神を裏切りました。神との関係が断絶しました。そのとき2人は気付きました。自分たちは裸だということに。2人はこんな裸の自分では神さまからの評価が下がると思ったのです。彼らは、いちじくの葉で腰の覆いました。
罪の結果の2つめは、罪を認めず、神から逃げるようになることです。2人は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠しました。罪を犯す前は、自由にのびのびと神さまと語らっていたでしょう。神さまの大きな愛につつまれていましたから。しかし、神さまとの関係を失った今、2人は、神の審きが恐ろしくなりました。罪の結果の3つ目は、自分の失敗を人の責任にすること、すなわち責任転嫁です。アダムはエバに、エバは蛇に罪の責任をおしつけたことです。このことから、罪の結果④が生じます。人間関係の崩壊です。責任を人になすりつけていたら、人と人との関係が壊れてしまいます。罪の結果、責任をとることのできない人が自ら関係をこわしていくからです。罪の結果⑤、それは、「死」です。蛇が言うとおり、2人はすぐには死にませんでした。しかし、それは肉体が死ななかったということです。人にとって真のいのちとは神さまとつながりでした。永遠である神さまとつながりをもっていることがいのちでした。しかし、2人は善悪の木の実を食べました。その瞬間2人は霊的に死んでしまいました。神さまとの関係が断絶してしまったからです。永遠のお方である神さまとの関係が切れることは、人が永遠を失うことです。2人は神のいうとおり、確かに死んだのです。

3 罪に対する神さまのご計画

しかし、神さまのご計画は、サタンの思いをはるかに超えていました。「おまえは彼のかかとを打つ。」とあります。サタンは、イエスさまを十字架につけて殺します。しかし、それは、イエスさまのかかとを打たれるだけで済みました。 イエスさまは十字架の死の後、三日目に復活されたからです。そして、「彼はおまえの頭を打ち」、とあります。 イエスさまは、サタンの頭を打ちます。これは致命的な一撃です。イエスさまはサタンを滅ぼされるのです。
イエスさまの十字架により5つの罪の結果が解消されます。私たちは裸のままです。しかし、神さまの愛の中で守られています。だからから神さまの前ではありのままの自分で大丈夫です。弱いまま、ダメなままの自分を神さまは守ってくださいます。罪の結果①が解消されました。そして、神さまの審きを恐れる必要なくなりました。十字架によってイエスさまがすべての罪を引き受けてくださいました。赦しが与えられました。だから、自分の罪を認め、悔い改めることができるのです。罪の結果②も解消されました。ですから、もう責任転嫁する必要がありません。罪の結果③が解消されました。さらに、罪の結果④も解消されました。神さまあって、私たちは愛することができるようになります。その結果豊かな人間関係をもつことができるようになるのです。罪の結果⑤は、死でした。私たちの肉体は、罪の故にやがて死を迎えます。しかし、イエスさまの十字架と復活を信じるわたしたちはいのちが与えられます。やがて、復活の体が与えられ、神の国に入れていただけます。

4 おわりに

アダムとエバが、善悪の木の実を食べ、神さまに反逆をしたそのとき、すでに、神さまは、人を救うご計画を立てておられたのです。いくらサタンが狡猾でもそこまでは考えられなかったでしょう。神さまの愛とあわれみに満ちたご計画は私たちの頭では測ることのできない。壮大なスケールをもつものなのです。

(2024年3月3日 石原 俊一 兄)

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です