悔い改めの道(マタイの福音書3章1~12節)

1 悔い改めとは

ヨハネは「悔い改めなさい。」と説教しました。原語のμετανοέωには、「回れ右しなさい」という意味があります。「自分の心の向きを180度変えなさい。」ということです。今まであなたの心は自分の方を向いていました。自分の思いや願いを実現させることを第一にしていました。その心の向きを全く変えて神さまの方を向きなさい。神さまの御心を第一にしないさい。と言っているのです。ヨハネは、自分の人生をかけた、全人格的な転換を求めました。

ヨハネは悔い改めを勧める理由として、「天の御国が近づいたから」といいます。それは、神の国を御支配されるイエスさまが今この世界に来ようとしているということを指しています。これまで、多くの預言者は、救い主が現れるという預言をしてきました。しかし、ヨハネは、救い主が直ぐ現れる。ここに来る。救い主が支配する世界、神の国が近づいたと宣言しました。このことで、これまで預言者たちが語ってきたことを大きく前進させました。

2 「悔い改めの道」と主の道の準備・神の審き

ヨハネの大きな役割は、イエスさまが歩まれる道、主の道を準備することでした。それは、主の通り道をまっすぐにすることです。当時の人々はみな、神さまの方を向いて生きていませんでした。皆、自分の思いを実現するために、自分を主として生きていました。これが人々の罪の根本です。そして、人間か直面するすべての問題はこの罪から生じています。複雑で曲がりくねったように見える道も実は罪が原因です。ヨハネは、悔い改め、神さまに向き変わるように勧めます。複雑な問題をまっすぐにする方向はだだ一つ、「悔い改め」です。

7節から12節までをとおして、ヨハネは、審きについてリアリティをもって語りました。ヨハネは、神の国が近づいたことを語りました。さらに、神の国完成したときに行われる「神の審き」についてもしっかりと語ったのです。ヨハネは神の審きがもうすぐくるから悔い改めよと説教しました。

3 「悔い改めの道」の後に続く「十字架の道」

しかし、イエスさまの行った審きはヨハネの「審きとは異なっていました。イエスさまは罪人を審きませんでした。そして、イエスさま御自身が審かれてくださいました。イエスさま自らが十字架にかかられました。裁かれ火に焼かれるはずの罪人たりの身代わりになられました。その罪をお一人で負われました。そして、イエスさまを信じる者に神の国に入る道を開いてくださりました。神の子イエスさまが裁かれなければ、火で焼く尽くされるような審きをお受けにならなれば、私たちは救われませんでした。それほど私たちの罪は重く、神さまの御愛は深く大きかったのでした。それは、驚くべき神さまの御愛の表れです。ヨハネが整えた「悔い改めの道」に続いてイエスさまの「十字架の道」を歩むものは、救われ神の国に入れられます。

4 悔い改めの実を結ぶこと

ヨハネは、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」と言いました。それは、真実に「悔い改めの道」を歩むことです。ヨハネの言葉をそのまま受けとめるのです。ヨハネが「まむしの子孫たち」といえば、「本当にそうなのです。わたしはまむしの子孫です。私の毒は人を傷つけ殺します」と認めます。「あなたは良い実をむすばず切り倒され火に投げ込まれる木です」「あなたは火で焼き尽くされる殻です」といわれれば、「そうです。私は、良い実をむすぶことはできません。火で焼かれて当然の者です」と認めるのです。

そのような者に実をならせてくださるのはイエスさまです。聖霊と火で私たちにバプテスマを授け、私たちをきよめ導いてくださるイエスさまでます。イエスさまが私たちを通して、実を実らせてくださいます。私たちを通して、イエスさまのわざを成してくださいます。ですから、私たちは、安心して自分の罪や弱さを認めることができます。「悔い改めの道」をそしてそれに続く「十字架の道」を歩むことができるのです。

(2024年5月2日 石原 俊一 兄)

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