使徒信条講解⑯「聖徒の交わり」(ヨハネの手紙第一1章1~4節)

1 カトリックの「通功」

現在では、わたしたちプロテスタントの教会もカトリックも「聖徒の交わり」といいます。しかし、カトリック教会では、かつて、「諸聖人の通功」と訳していました。カトリックでは、教会に属する人々を三つに分類していました。

① この地上にある戦う教会。罪に対し、欲に対し、悪に対して戦う教会です。

② 煉獄の苦しむ教会。神によって天国に入る資格があると裁かれた「聖人」たちで、天国に入る前に煉獄で魂をきよめる必要があり、煉獄で苦しんでいます。

③ 天にいる凱旋(勝利)の教会です。

この三つの教会の聖徒たちの間にある交わりを「通功」と呼ぶのです。すでに天にある聖人たちの功徳、功績、すなわち、聖母の功徳や、聖人たちの功徳、そして、イエス様の功徳が、この三つの教会の間に流通して、苦しみの教会も、戦う教会も、その交わり、功徳の流通によって利益を受けるという考え方です。

2 聖徒の交わり

では、プロテスタント教会では、この聖徒の交わりをどのように理解してきたのでしょうか。

(1) 三位一体の神との交わり

ヨハネの手紙は、私たちクリスチャンの交わりの前提として、三位一体の神の交わりを教えます。3節に、「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」とありますが、私たちが、三位一体の神の交わりの中に招かれていることが示されています。ヨハネは、福音書の中でも、「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。」(17:21)と語っています。さらに、パウロは、「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」(Ⅰコリント3:16)と語り、私たちのうちに、神の御霊が住んでおられると語っています。三位一体の永遠の神ご自身の愛の交わりの中に、私たちクリスチャンも招かれているという事は、何という光栄でしょうか。ですから、私たちクリスチャンが集まって祈るとき、「そ こに、わたしもいる」(マタイ18:19~20)と約束されているのです。私たちが、聖書を読んで祈るとき、温かい、神の慰めがあふれたり、兄弟姉妹が人数は少なくとも、集まって祈るときに、不思議に心が燃えるのは、この神の交わりに私たちが招かれているからなのです。

(2) 教会の交わり

第二に、私たちクリスチャンは、イエス様を信じた時、それぞれ、生ける石として、教会の一員として組み込まれましたから、教会の交わりの中で生きています。新型コロナウイルス感染症の拡大のため、一堂に会して礼拝をすることができなくなっておりますが、そこで体験したことは、私たちが、いかに、教会の交わりによって支えられ、生かされて来たかという事実です。教会は、愛餐会を尊びます。それは、そこに、教会の大切な命があるからです。また、東日本大震災の時、教団教派を超えた教会の交わりがありました。聖徒の交わり、それは、非常に大きな、グローバルな教会間の交わりに広がります。

(3) 聖餐の交わり

聖餐式は、私たちが、キリスト様とひとつにされ、また、同じ主を信じる兄弟姉妹が一つとされる大切な『聖徒の交わり』です。宗教改革が起きたとき、スイスの宗教改革者ツウィングリと言う人は、「いのちを与えるのは御霊です。ルターや、ウェスレーは、聖餐式は、単なる記念ではなく、そこで分かち合われるパンやぶどう酒と共に、キリスト様の十字架の恵み、魂のきよめなどの、霊的祝福が分かち合われるのだと信じていました。確かに、聖餐式には、記念の式という以上の、聖徒の交わりが存在するのではないかと、私も考えております。

(2024年9月1日 木田 惠嗣 師)

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