星を見て、旅立て(マタイの福音書2章1~11節)

1  星を待つ人

今朝はこのマタイ福音書2章1節から11節の御言葉を通し、「星を見て、旅立て」と題して、主イエス・キリストのもとへと旅する私たちの信仰の歩みについて御言葉から教えられたいと願います。

1節から3節に出て来る「東の方からの博士」というのは、当時、ペルシャやバビロニアといった国々において占星術に従事する人々を意味しています。彼らが「ユダヤ人の王としてお生まれになった」ことを。星の出現を通して知り、この王を礼拝するためにはるばる旅をして来たというのです。彼らはそのような星がいつか出現するということを知って、夜ごとに星空を見つめ続けていたのでしょう。彼らは、他の人々よりも一歩前に世界の悲惨や悲しみを知り、他の人々よりも人一倍その憂いや悩みを心に抱いていました。けれども、彼らは絶望する人ではなく、なお忍耐強く、粘り強く希望し続ける人でありました。まことの王なるイエス・キリストの誕生を知らせる星を待つ人、それは救いを待つ人です。暗闇を増し、人々から希望を奪い去るような出来事の続く世界のただ中に立って、なお希望を捨てずに夜空を見上げ、天を仰いで、救い主の星を待つ人、それが彼らの姿です。そしてついにその星は姿を表し、彼らの上に照り輝いたのです。

2  まことの王を捜して

このようにして博士たちはユダヤ人の王の誕生を知り、都エルサレムにまでたどり着きましたが、そこから先がわからない。そこで博士たちはヘロデ王のもとを訪れます。しかし博士の訪問を受けたヘロデ王は動揺します。なぜなら「ユダヤ人の王の誕生」とは、自分の地位を脅かしかねない驚きの知らせだったからです。それですぐさま対応に乗り出します。

ヘロデ王の目論見は、その生まれた赤ん坊を見つけ出して抹殺するためでした。博士たちはヘロデ王のもとで得た情報をもとに、そして再び現れた星に導かれて、御子イエス・キリストのもとに辿り着くのです。

3  旅立つ人

聖書にはたくさんの「旅する人」が登場してきます。旧約聖書のアブラハム、ヤコブ、出エジプトのイスラエル、新約聖書でも主イエスご自身はもとより、使徒パウロもまた旅する人でした。それはただ人生の中で旅をしたというだけではない。聖書は私たちの人生そのものが旅だというのです。天の故郷を目指し、地上では旅人、寄留者として生きる。それが聖書の記す人間の姿です。その一方で、聖書にはもう一つの種類の人が出てきます。それは「さすらい人」です。地上で初めての殺人を犯したカインに対して、神は「あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる」と言われたのです。旅人とさすらい人。その姿は実によく似通っていますが、しかし決定的な違いがある。それは旅人がその目的を知っているのに対し、さすらい人はそれを知らずに歩いているということです。

皆さんの人生は旅人としての人生か、それともさすらい人としての人生か。博士たちはお生まれになったユダヤ人の王、まことの救い主メシヤなるお方を礼拝するために旅を続けてきた旅人でした。私たちの人生を旅人の人生とするか、さすらい人の人生とするかを決める決定的なことは、それが主イエス・キリストを礼拝するという目的に向かっている否かという、ただその一点にかかっているのです。

4  星を見て、旅立て

博士たちは救い主の星を見て、このお方を礼拝するために旅立って行きました。彼らは星を見たことで満足しませんでした。その星の出現を知ったことでよしとはしなかったのです。そうではなく、彼らにとって決定的に大切だったのは、その星に導かれて旅立つということでした。そして救い主イエス・キリストに出会い、このお方を礼拝することだったのです。救い主の星を捜し求める人は多い。しかし肝心なことはそこから先の事柄です。あそこに救いがある、あそこに希望がある、あそこに人生の意味がある。それで終わってはならない。それを自らのものとしてこそ、それは私にとっての人生の意味となる。これを聖書は「救い」と言います。イエス・キリストと出会うこと、イエス・キリストを受け入れること、イエス・キリストを礼拝すること。そのために私たちは見ることから旅立つことへと進まなければなりません。今はまだ無理、今はまだ時ではない。あれが済んでから、これに目処がついてから、あの問題を解決してから、この支度ができてから、自分自身がもう少し落ち着いたら、周囲の理解が得られたら。あれこれと私たちの旅立ちを遅らせたり、思い留まらせたりとする事柄があるでしょう。けれども一度あの星を見たならば、私たちは今置かれている所から、今抱えている様々な重荷を置き、様々に心によぎる思いを置いて旅立つようにと促されている。星を見て、旅立て。クリスマスの星、その星の輝きに導かれて、救い主イエス・キリストとの出会いをご自分のものとしていただきたいと願います。

(2024年12月8日 朝岡 勝 師  要約文責 石原俊一 師)

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