神の国のビジョン・ミッション・パッション(ルカ9:23、ピリピ4:13)

ルカ9:23、ピリピ4:13

0 はじめに

私たちが神の国の喜びに生きるには、神の国のビジョン・ミッション・パッションがすべて満たされる必要があります。ビジョンは、神の国、「すべての人が活かされてともに喜ぶ平和な世界」です。ミッションとは、具体的にどういう実践をするか。パッションとはその原動力です。この三つの全体像を順に考えていきます。

1 神の国のビジョン

私たちは、神の国を実現するために生きています。イエス様は、十字架と復活の力によって、神の国を今も造り続け、その働きに、私たちも招いておられます。キリスト教は四ポイントです。神・罪・救い、神の国に生きる喜びです。クリスチャンの喜びは二重で、救いの喜びと、神の国をイエス様と共に造っていく喜びです。

2 神の国のミッション

神の国の実践は、十字架を負ってイエス様について行くという性質を持ちます。このことを、イエス様は繰り返しはっきりと教えます。マタイで2回、マルコに1回、ルカに2回(ルカ9:23、ルカ14:27)教えられています。神の国の実践をした人たちはみな、「私も十字架を負ってイエス様と同じ生き方をすることで、人と世界を生かす生き方ができる」と言います。内村鑑三は、「善行はすべて贖罪的特性を持っている」と、賀川豊彦は、「贖罪愛」という言葉を頻繁に使い、マーティン・ルーサー・キングは、「自ら招かざる苦難は贖罪的であると信じて戦い続けよう」と語り、アンパンマンの作者やなせたかしさんは、「正義とは、弱い者のために犠牲を払うことだ」と語りました。私たちも、十字架を負ってイエス様と同じ生き方をしたら、世界を変えることができるのです。ペテロも(Ⅰペテロ2章)、パウロも(コロサイ1:24)同じことを言っています。パウロは、肉による同胞のために、呪われることさえ願いたい(ローマ13章)と祈り、モーセも同様の祈りをして破れ口に立ちました。私たちのミッションは、十字架を負ってイエス様について行くことです。

3 神の国のパッション

正しい教えを受け、正しい実践につなげるのが世間の常識です。聖書はそれではだめだと教えます。Ⅱコリント3:6「文字は殺し、御霊は生かすからです。」とあります。聖書の文字ではなく、聖霊の力が私たちを生かすのです。私たちに必要なビジョンとミッション、パッションは、三位一体の神様が満たしてくださいます。聖霊のパッションによって、主体的にイエス様のように生きることができるのです。聖書に教えられている通りにできるだからやろうという信仰と、聖書に記されている通りにはできないから、イエス様が十字架で死んでよみがえってくださった感謝だと終わってしまう信仰の二つがあります。聖書はできると教えます。ただし、自分の力ではだめです。「私を強くしてくださるお方によってどんなことでもできるのです(ピリピ4:13)」。では、聖霊の力を受けるためにはどうしたらよいでしょう。イエス様はルカ11:9~13で、聖霊を求めれば誰にでも与えられると語られました。聖書は、御霊に満たされなさいと命じています。聖霊の風はいつも吹いています。私たちは信仰の帆を上げて聖霊の力を受けて、導かれるとおりに従順に行動するのです。皆さんの働きのすべてが、神の国の実践です。仕事、子育て、家事、教会の奉仕、地域のボランティア、趣味、人間関係、何であっても神の国の直接的な働きなのです。お互いに神の国のビジョンを受け止めて、十字架を負ってイエス様に従う、神の国のミッションに生き、聖霊の満たされ、パッションに燃やされて、それぞれの持ち場で主に生かされ、周りを生かしていきましょう。皆さんに主の祝福があふれるようお祈りします。

(2020年9月27日 廣瀬薫 師)

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