「平和をつくる者」の幸い(マタイの福音書5章9節)

1 私たちのどのような思いが平和を壊すのか

平和は,人と人,国と国との関係で成り立つといいますが,一番大切なのは,私自身が平和な存在になることです。しかし,イエスさまの前に立ち,真実な自分の姿を見つめていくと,私たちは,自分の中に対立があること,以下のように,自分の中に平和を壊す思いがあることに気づきます。

(1)「人より上に立ちたい」という思い

マルコの福音書9章33節~35節の中で,弟子たちは,誰が一番偉いか論じ合いました。私たちの中にも,自分が人より上に立ちたい,偉い存在になりたいという思いがあります。

(2)「自分が正しい」と思い

ルカの福音書18章9節~14節の中で,パリサイ人は,自分は正しいと確信して,ほかの人々を見下していました。「自分が正しい」という思いがあると,平気で人を見下します。平気で人を傷つけます。この思いが平和を壊します。

(3)「肉」の思い

ガラテヤ人への手紙5章19節~21節には,「肉」の思い。それは,聖霊によって歩まない者の内にある思いが書かれています。敵意,争い,そねみ,憤り,党派心,分裂,分派…しかし,この思いは,私の中にもあります。このような思いがあると,平和をつくることはできません。私たちには,平和をつくる力がないのです。

2 「平和をつくる者」とはどのような者か

(1)イエスさまに一切を委ねる者

「平和をつくる者」は,自分には平和をつくる力がないことを認める者です。そのような者は,罪人である自分をただ,イエスさまにお委ねするしかありません。イエスさまは平和そのものの方です。イエスさまの内には愛と平安があります。そして,罪人である私たちのために,イエスさまは十字架に架かってくださいました。ですから,イエスさまの十字架を信じ,このイエスさまに一切を委ねる私たちは,神さまと和解することができます。私たちのすべての罪が許され,イエスさまの愛と恵み,平和の世界に入れていただくことができます。神さまが私たちを「平和をつくる者」にしてくださるのです。

(2)聖霊の実が具現する人

イエスさまに寄りすがる者には,御霊にあって歩む具体的な姿が表れます。ガラテヤ書5章22節~25節にあるように,御霊よって歩む姿,御霊の実が具現する人には,愛,喜び,平安,寛容,親切,善意,誠実,柔和,自制が現れます。それは,平和をつくる者の姿そのものです。

3 「その人たちは神の子どもと呼ばれる」とは

第1ヨハネ3章1節には,「私たちが神の子どもと呼ばれるために,御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを,考えなさい。」とあります。「御父」である神さまは,本当にすばらしい愛を与えてくださいました。神の子イエスさまです。人より上に立ちたいと思う私,自分が正しいと思う私,肉の思いで平和をただ壊すしかない私に,神さまは,神の子イエスさまを与えてくださいました。そのイエスさまが,私のために十字架に架かって死んでくださいました。御父がすばらしい愛,イエスさまを与えてくださったのは,私たちを「神の子ども」と呼ぶためでした。

「平和をつくる者」は,イエスさまに寄りすがりながら,御霊 によって「平和」を具現している人です。ですから,神さまは,その人を神の子どもと呼んでくださいます。「平和をつくる者」は,「平和」を具現している人は,すでに,神の子として御父の愛を十分に受けている者なのです。  

 (2020年11月1日 石原 俊一 兄)

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