私たちは地の塩・世の光(マタイによる福音書5章13節~16節)
1 キリスト者は地の塩
イエスさまは,イエスさまを信じてイエスさまのみもとにくる人々は,この世界において塩のような存在だといいます。
第1に塩は,なくてはならない物です。このことから,キリスト者はこの世になくてはならない存在だということです。
第2に塩は,この地上に惜しみなく与えられている物で安く手に入れることの出来る物です。このことから,キリスト者も無償で人々に与えていく存在ということができます。
第3に塩は,腐敗を防ぐという働きがあります。ここから,キリスト者は,この世の腐敗を防ぐ存在,この世の滅びをふせぐ存在だということができます。
第4に塩は,それぞれの食べ物味を生かす味付けをします。このことから,キリスト者は相手を生かしていく存在だということです。
第5に塩はとけてその姿が見えなくなってはじめて塩の味をだします。キリスト者は、どこにいっても決してキリスト者らしさを失うことがないのです。
大切なことは,イエスさまが,あなたがたは地の塩です。(13節) と言い切っていることです。イエスさまを信じてイエスさまのみもとにあるなた方は,今,地の塩です。というのです。
2 キリスト者は世の光
あなたがたは世の光です。(14節)というイエスさまの言葉を理解するためには,ヨハネの福音書8章12節が必要です。「イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は,決して闇の中を歩むことがなく,いのちの光を持ちます。」イエスさまが真の光です。私たちは,光の源ではありません。私たちはイエスさまと向き合うことでイエスさまの光を受けるのです。それは,月と太陽の関係に似ています。イエスさまは太陽です。光輝く者です。私たちは月です。太陽の光を受けて光ります。
地の塩と同じように,イエスさまは,世の光になるように努力しなさいとかがんばりなさいとはいっていません。イエスさまを信じるあなた方は,イエスさまの光を反射し,この世の中で光輝く存在です。とおっしゃるのです。
3 塩や光の働きを失うこと
イエスさまは,キリスト者でありながら,自ら塩の働きを止める者光の働きを隠してしまう者がいるということを指摘されます。それは,3通りの人が考えられます。
① イエスさまに頼らず自分で生きている者
② この世に溶けず固まったままの塩
③ 人の前でイエスさまを表明できない人
私たちは弱い者です。何もできない者です。でも,イエスさまがこの私たちを通して光ってくださることを信じているのがクリスチャンです。
4 こんな私がイエスさまを信じること~それがよい行い
私たちは,キリストの前に立ち,キリストの光を受け,その光を人の前で隠さなければよいのです。そうすれば,人々があなたがたの良い行いを見て,天におられるあなたがたの父をあがめるようにな ります。
弱い,問題だらけの私も,イエスさまを信じる姿を人々前に見せるとき,イエスさまが,神様をあがめるような不思議な出来事を起こしてくださいます。「よい行い」とは,イエスさまを信じて歩み出していくことです。すると,神さまがその人を通して神さまの業を見せて下さいます。すべては,世の光なるイエス様の働きです。私たちは,そのイエスさまを心から信じて,地の塩,世の光として歩みだしていきたいと思います。
(2020年12月6日 石原俊一 兄)