「義のために迫害されている者」の幸い (マタイによる福音書5章10節~12節)

1 何故迫害されるのか

イエスさまは「義」そのものです。そして,私たちは,イエスさまを信じることでイエスさまの「義」をいただきます。ですから,「義のために迫害されている者」は,「イエスさまを信じる故に迫害されている者」ということです。事実,後に,イエスさまを信じる人は激しい迫害にあいました。

迫害の根本にあるものはなんでしょう。それは,人間の本質にあります。人間の本質は自己中心です。人は,私自身の思いを実現させたい,自分の正しさや有能さをどこまでも主張したいのです。ところが,神さまは,人間に,その自分を捨てなさい。神さまに明け渡しなさい。神さまのみこころに従って生きる者になりなさいと求めます。それこそ,私たちが,幸いな歩みを歩むための道だからです。神さまは,自己中心の私たちを100%の罪人として否定します。そのとき,神さまに自分の罪を認め,へりくだり,砕かれる方向に歩む人は幸いです。しかし,自分を生かす道,建て上げる方向に生きる人は,人は自分を守り抜くために戦います。自分の正しさ,自分の生き方,自分の考え方が正しいことを主張します。その結果,ユダヤ人は神の子イエスさまを迫害し,十字架につけて殺してしまいました。さらに,建て上げる方向に生きる者は,砕かれる方向に生きる人をも迫害します。自分中心に生きようとする人にとって,砕かれてイエスさまに明け渡した人は,神の子イエスさまと同じように,自分を否定する脅威な存在に見えるからです。戦いに勝利するには,イエスさまにつく,自分を捨てたクリスチャンを亡き者にすることで自分を守ろうとします。そこで,迫害が起こるのです。

2 何故迫害される者は幸いなのか。

イエスさまは,義のために迫害される者が幸いな理由として,「天の御国はその人たちのものだからです」と語ります。これは,「心の貧しい人」に語られる幸いと同じです。建て上げる方向に生きる人は,自分にとって脅威な存在となる神の子イエスさまや砕かれる方向に生きる者を迫害します。ですから,迫害される者は,迫害する者に,「イエスさまと等しい者,へりくだる者,砕かれる方向に生きる者と認められた人」ということになります。つまり,迫害される者になったということは,イエスさまのものになったという証拠なのです。それは,天の御国が与えられた証拠です。イエスさまの愛と恵みと平安の世界に生きる者になった証拠なのです。本当に幸いなことです。感謝なことです。ですから,義のために迫害される人は,すでに,神さまの御支配の中にいます。神さまの恵みと祝福と平安の中を生きて生きています。天の御国は,すでに,迫害される者のものになっているのです。

3 イエスさまの弟子たちへの愛のメッセージ

「迫害されてきた人の幸い」にはこれまでの「幸い」とは異なり補足がついています。「喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。(11節~12節)」
なぜ,このような補足をされたのでしょう。それは,イエスさまが,イエスさまのみもとにいる弟子たち一人一人の最後を知っていたからだと思います。
ペテロは,ローマ皇帝の迫害を受け,逆さ十字架で殉教しました。アンデレは,ローマ総督アイゲアテスにより投獄され,X型の十字架で処刑されました。大ヤコブは,ヘロデ王にとらえられ,斬首されました。ピリポはフリギアで,バルトマロイはアルメニアで,トマスは南インドでマタイはトルコで殉教しました。12人のうち,ヨハネを除く11人が迫害のために殉教しています。イエスさまのために死んでいく弟子たちに,迫害を受ける人の幸いをどうしても伝えたかったのでしょう。「あなたがたは,わたしのためにののしられるよ,迫害されるよ,ありもしないことで悪口を浴びせられるよ。最後には殺されるかもしれない。でも,そのようなあなた方は幸いです。喜びなさい。神さまの国であなたは,大きな祝福を受けますよ。」と。
イエスさまの言葉は,迫害を受けて死んでいった弟子たち一人一人の心に励ましを与えたと思います。イエスさまのお言葉が迫害を受けるそのときに成就することを,弟子たちは感謝をもって受け入れていったと思います。

4 おわりに

私たちの心の奥底には,建て上げる方向に歩みたいという思いがこびりついています。しかし,罪のあるそのままでイエスさまのもとにいき,イエスさまにすべてを明け渡しましょう。「神さま,罪人の私をあわれんでください」と祈りましょう。それが,砕かれていく方向,自分に死んでいく方向,神さまに一切を委ねていく方向です。そこに,イエスさまの十字架の愛が輝いています。
歩みの中で迫害を受けるかもしれません。しかし,そのときこそ,イエスさまが語られる8つの幸いは私の中に事実となります。天国は私のものになります。私たちのために十字架に架かってくださったイエスさまがそのように私たちを導いてくださいます。

(2020年11月27日 石原 俊一 兄)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です