教会の成長(コロサイ書2章16-23節)
1 私たちの信仰~本体キリストにとどまること~
本年は人の心も体も何か目に見えるものを、求めてひかれ期待することが多い年でした。その中で真なるもの,真なるお方を求め、出会い生かされていくのがキリスト者です。キリストは人として来られた神です。神は超越的創造者であり、宇宙の創造者です。キリストは「わたしと父は一つ」と神のみが持つ「罪の赦し」神のご性質を完全に具現される方です。
私たちの信仰の本質は,食べ物と飲み物のこと,新月や安息日のことではありません。私たちの信仰は「神の力」を信じる信仰です。キリストの甦りの力をもって義とされ神にある勝利者として生きることです。それは本体であるでキリストにとどまることです。(16,17節)なぜなら,私たちは,「誰一人自分のために生きているのではなく…。生きるにしても、死ぬにしても主の者です。」(ローマ⒕:7-8)だからです。
2 教会の成長を妨げるもの~神から出たものでないもの~
パウロは,18節19節で,神秘的なこと不思議なこと(幻)に惑わされないように。かしらなるキリストにしっかり結びついていなさいと警告します。神から出たものでないものは教会の成長を妨げます。キリストにあって歩むということはキリストに満ち満ちていること。かしらなるキリストがもとになって神に育てられていくことなのです。
3 教会の成長①~祈ること,御霊によって生きること
主は「だれでも、わたしについて来たいと思うなら‣・・・」(マタイ16;24 )と言われ,「重荷を負って苦労しているなら,共にくびきを負う」と。敬虔な祈りは私たちの生活を整え、御霊による歩みとなります。御霊による歩みは御霊による実を結びます。(ガラテヤ5:16-23)御霊の実「自制」があります。祈りの生活にはこの自制が必要です。(vs20-22)「つかむな、味わうな、さわるな・・・」といった定めに縛られるのではなく,キリストと共に死に,この世の諸々に霊から離れた謙遜な歩みは「キリストにある自自由を得させ、・・ふたたび奴隷のくびきを負うことはありません。
4 教会の成長②~教会のかしらなる方に結び合わされること
心が主にあるなら主を畏れ従い自分を堅くし、自制の実を結びます。真のキリスト者として教会のかしらなる方に結び合わされ成長しましょう。イエスさまは,人間の好き勝手な礼拝や自己卑下や肉体の苦行ではなく,「自分を捨て、自分の十字架を負いキリストに従う喜び」によって、み言葉ある養いを受け、神の満ち満ちたご性質に…信仰者として成長させてくださいます。かしらなるキリストにしっかり結びつき、キリストに土台を置いて歩みましょう。
(2020年12月27日 後藤 一子師)