御言葉への信頼~サムエルの信仰1~(1サムエル記3章1節~21節)  

1 「はい」と主に向かう信仰

少年サムエルは,祭司エリのもとで主に仕えていました。サムエルは,神殿で寝ているある夜,主に呼ばれます。エリに仕えていたサムエルは,エリに呼ばれたと思い,エリの所に行き「はい,ここにおります」と答えます。主は,再びサムエルを呼びます。サムエルは同じようにエリに「はい,ここにおります」と答えます。主は,もう一度,サムエルを呼びます。サムエルは,「はい,ここにおります」と答えます。
もし,私たちが,人に意味のないやりとりを3回も繰り返されたら心の中には不満がわき出てくるでしょう。それは,相手の状況や気持ちを理解することができないからです。「そのようにするには,何か理由がある」「相手は無駄なことをする人ではない」と信じることができないからです。

「○○よ」と呼ばれたら,「はい」と素直に主に向かうことが信仰の姿です。それは,神さまは私を愛し,私を幸いな道に導いて下さることを固く信じている証です。

2 「しもべ聞きます。お話ください」とお聞きする信仰

祭司エリは,サムエルを呼んでいるのが主であることに気づきます。そこで,サムエルに,もう一度,主からの呼びかけがあったら,「しもべ聞きます。お話ください」と祈るように助言します。サムエルは,エリの助言のとおり,主からの問いかけに,「しもべ聞きます。お話し下さい」と祈ります。
大切な祈りの姿勢は,「しもべ聞きます。お話しください。」と自分をしもべの場に置き,主が語ることそのままお聞きしようとする態度です。私たちは,いつも自分の思いや考えでいっぱいです。サムエルのような祈りの姿勢を持たなければ,主からの語りかけを聞き逃すかもしれません。しかし,単純に,「しもべ聞きます。お話ください」と祈ると,神さまは語りかけて下さいます。主の語りかけを素直に聞くことで,私たちは最良の道を歩むことが出来ます。

3 聞いたことを隠さずにすべて伝える信仰

主が,サムエルに語った預言は,「自分の師,祭司エリの家を永遠にさばく」という恐ろしい内容でした。しかし,サムエルは,エリの指導を受けながら,主が御語りになったすべてのことエリに知らせました。
主が語られたことをそのまま受け取り,そのまま伝えること。それが,士師や預言者の大切な役割でした。どんな内容かは関係ありません。聞く人の思いは関係ありません。それを話すことで自分の身が危険になっても関係ありません。主が語られることは真実であり,地に落ちることのない力づよい御言葉だからです。私たちも,信仰をもって主からお聞きしたことを,自分の思いや考えを加えずに伝える器になりたいと思います。

4 終わりに

神さまの愛は大きくその力は人知で測り知ることができません。神さまの業は,どんなことがあっても成っていきます。もし,私たちが神さまの言葉に自分の思いや考えを加えたり,御言葉を差し引いたりしてしまうとしたら,それは,私たちの高さです。傲慢さです。不信仰です。私たちは,サムエルのように自分をしもべの場所におき,単純に主に向かっているでしょうか。主の御声をそのまま受け取り,伝えているでしょうか。私たちは,全能の父なる神さまを心から信じ,主の御言葉に信頼し,単純で率直な信仰をもって歩んでいきたいと思います。

(2021年2月7日 石原 俊一 兄)

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