キリストに仕える (コロサイ人への手紙3章18-4章1節)

0 はじめに~キリスト者の生活とは

キリストにある生活は上にあるものを,神ご自身を求める生活です。その在り方はキリストを着る生活です。古いものを脱ぎ去って「キリストが中に生きておられる」と確認する歩みでもあります。「神に選ばれた者、聖なるもの、愛されている者」としてキリストを身に着ける歩みです。

1 従う生活・仕える生活

パウロはここでキリスト者の具体的な人間関係について話します。「妻と夫」「子と親」「奴隷と主人」、共通していることは「従う」。18節から20節には,相互義務が示されます。しかも「主にあって」とキリスト教倫理の真髄に基づき主にふさわしく、主に喜ばれる。すべてのことにおいて地上の主人にたいしても、天上の主に対してするように、そうすれば、天地の主は「救いとして御国を相続させてくださいます」と。

私たちはいつも、キリストに仕えあるのです。どんな時でも喜びに満たされて、御国を待ち望んでいきます。キリストは弟子たちに「仕える者でありなさい」とすすめ、ご自身も「人の子が来たのは・・・」(マタイ20:26-28)と言われました。私たちがキリストに仕えることには「従う、服従」するの意があります。素直に「はい、従います」と言えるでしょうか。・・・・

2 責任と義務を負う生活

25節では,主は忠実な者、不正な者をも公正に取り扱います。私たちは恵みによって救われましたからその恵みに公儀をもって従うのです。しかも「主にあって」です。そうすれば神の助けにより、相互が愛しあい、仕え従うことができるのです。

主にあって、主の愛と知恵をもって互いに受容していくなら、そこにキリストのいのちに満たされた歩みがあります。家庭や職場での人間関係に責任や義務を負っていることを自覚し、すべてのことに主の愛と知恵を必要として、「主にあって生きる」幸いな人間関係を築くとき、上にあるものを求め「キリストに仕える」者となるのです。

3 終わりに~神さまの一方的な恵みを受ける故に

天に主人を持っていることを知り、報いとしての御国を受け継ぐことを知っています。だから、キリストに仕え、主に喜ばれることに満たされているのです。神の一方的な救いの恵みに、喜びをもって仕え御国を受け継ぐ者となりましょう。
(2021年2月28日 後藤 一子 師)

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