静まりへの招き(詩編46篇)
1 静まりから神さまとの親しい交わりへ
詩編46篇10節の「止めよ」はいろいろな言葉に訳されています。口語訳では、「静まってわたしこそ神であることを知れ」文語訳では、「汝ら静まりて我の神たるを知れ」「力を捨てよ」という訳もあります。中国語訳は「休息」、ある英語の訳は、「リラックス」です。
「止めよ」という言葉に意味は、文脈によって変わります。「何かよけいなことを止めなさい」「しばし立ち止まりなさい」「がたがたさわがない」「握りしめているものを手放しなさい」「気負いや力みを捨てなさい」「じっと待ちなさい」「分をわきまえ出しゃばらずに控えなさい」「武器を捨てなさい」「肩の力を抜きなさい」「一休みをしてリラックスしなさい」など状況によっていろいろな意味に受け取ることができます。
神様は、私たちを静まりに招いておられます。神様は、「あなたと親しい交わりを持ちたい」という願いをもってこの「静まれ」と語られるのです。
2 どんな状況の中で静まるのか
詩篇46篇には、私たちがどのような状況の中で静まればよいかが示されています。
(1)苦しむとき(1~3節)
苦しむとき、悩みの時,安心や安定の土台,「これがあれば大丈夫だ」というものが揺り動かされるときです。ヤコブが「真に神がこのところにおられるのに私はそれを知らなかった」といったように、静まる中で,神様がすぐそばにある助けであることを知ることができます。
(2)八方塞がりなとき(4~7節)
八方塞がりな状況の真ん中にあるときです。静まる中で,神様がその真ん中にいて大丈夫だと不思議な平安が与えられます。それは、エルサレムの町が国々に囲まれて攻撃されているとき、夜明け前、闇が一番深いときです。
(3)戦いのとき(8~11節)
戦いのときです。静まる中で,万軍の主は私たちとともにおられることを知ることができます。とりでとは、戦いのとき守ってくださる場所です。様々な危険が押し寄せてくるとき、神様は一緒にいて助けてくださる方なのです。
3 私たちを静まりに招いてくださる神様
神様は、私たちを静まりに招いてくださいます。私たちは、今置かれている状況の中で「やめよ」、「静まれ」という神様の招き、御声を聞くことができます。そして、神様が私とともにいて、神様が戦ってくださることを知ることができます。
「何かよけいなことを止めて静まりなさい」「しばし立ち止まって静まりなさい」「がたがたさわがないで静まりなさい」「握りしめているものを手放して静まりなさい」「気負いや力みを捨てて静まりなさい」「じっと待って静まりなさい」「分をわきまえて出しゃばらずに控えて静まりなさい」「武器を捨てて静まりなさい」「肩の力をぬいて静まりなさい」「一休みをしてリラックスして静まりなさい」
今、私に一番必要な静まりはどんな静まりでしょうか。思い巡らして静まる一歩を踏み出していきましょう。
(2021年3月7日 太田和 功一 師)
握りしめていた食べ物へのこだわりを示され、悔い改めの祈りをすると、
静まっても落ち着かずザワザワしていた心が、ふぅ~っと楽になりました。