立ち返って静かにすれば(イザヤ書30章15節~18節)

0 はじめに

「静まる」ということはなかなか難しいです。私たちは,余裕ができると静まることができると思ってしまいます。しかし,神さまが,「立ち返って静かにすれば…」と語られたとき,イスラエルは,余裕のある状況ではありませんでした。神さまは,危機的な状況の中で,この御言葉を語られたのです。

1 試みのときこそ神さまを選択するチャンス

神さまがこの御言葉を語られたとき,イスラエルは,アッシリアに攻められ風前の灯火でした。イスラエルの民は,もはやエジプトと同盟を結ぶしかないと思っていました。そして,神さまに指示を仰がないで自分たちの状況判断で動いていきました。目に見えない神さまではなく,目に見える自分たちの計略,方針,他の力に頼ろうとしたのです。
そのような状況の中で,神さまは,「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(15節)と語られます。返るべきところに返って静まれば,あなた方は救われると言われるのです。
私たちの人生にも試みの時があります。そのとき,神さまに御心を求め神さまに頼るか,それとも自分の力や周りの力に頼るかという選択を迫られます。そのような時こそ,神さまに信頼することを選び取るチャンスです。

2 神学校在学中の証~神さまに信頼する者に与えられる祝福

シンガポールにある神学校に在学中,経済的に行き詰まったとき,日本語を教えるというアルバイトを紹介されました。相手のご家族から,「アルバイト料は,いくらでもいいですよ」と言われたので,神学校の月謝が払える金額をお願いしました。ところが,神学校の校長から,「あなたは学生ビザできたので,定期的な収入を得ることは法律違反になります」と言われました。相手の方には「アルバイト料をもらっても誰も分からないよ」と言われます。心に葛藤がありました。神学校の月謝はどうなるだろうと思いました。しかし,神さまは,私に,「神さまに信頼しなさい」とおっしゃり,不思議な平安を与えてくださったので,アルバイト料をお断りしました。すると,神さまは,不思議な導きを与えてくださり,思いがけない形で月謝を払うことができました。

3 不信仰のイスラエルに恵みを与えようとする神さま

15節に「これを望まなかった」とあります。イスラエルの人々は国が滅びるかという危機の中で神さまに信頼し頼ることを望まないでエジプトに逃げました。その場所で,イスラエルの民は,エジプトが頼りにならないことを身にしみて知ります。
そのとき,神さまは,「それゆえ【主】は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる」(18節)と語られます。「それゆえ」とおっしゃいます。「にもかかわらず」ではありません。神さまは,私たちの弱さ,信仰の乏しさをご存じです。ときには神さまに信頼することができずに他のものに頼ったり逃げることをご存じです。私たちが神さまに信頼できないものであることをお分かりの上で,そのような者に恵みやあわれみを与えようとして待っておられます。私たちが弱い者だからこそ,恵み与えあわれもうとして立ち上がられるのです。

4 私たちを待っておられる神さま

私たちは,神さまの約束を信じ切れずに,痛い思いをすることがあります。神さまは,見捨てずに,そういう者だからこそあわれもうとされます。恵みを与えようとして待っておられます。神さまは,私たちに,「私が与えうとする救いや力を経験するために私に返ってきなさい。そして静まりなさい。落ちつきなさい。私はあなたが帰ってくるのをずっと待っている」と語っておられます。
静まりの中で,私たちは,この御言葉からどんなメッセージを聴くことができるでしょうか。私たちは,神さまがこの御言葉を通して今の自分に何を語りかけているかを静まって思い巡らせて聞いていきたいと思います。

(2021年3月14日 太田和功一 師)

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