問題のただ中を歩む(サムエル第一7章1節~17節)

1 ただ主に仕えることを示してくださる神さま

私たちは,問題に直面すると,どうすればこの問題を解決できるか方策を考えます。しかし,神さまは,「神さま以外のものに頼らないこと,ただ神さまに信頼し,ただ神さまだけに仕えていくことが大切だと語られます。
私たちは,問題を前にしても恐れる必要はありません。この問題を解決してくださるのは神さまであることを信じて歩み出せばいいのです。ところが,私たちの中に神さまより大切にしている何かがあります。自分の知識,自分の健康,異性,そのほかの誰か,財産,土地,捨てられない何か。中には,「自分の信仰…信念?」に頼る人もいます。それらのものは全く助けにならないことを実感するときが必ずきます。
問題は目の前の問題ではありません。本当の問題の根本は不信仰です。イスラエル人は,自分たちの罪を告白し,偶像を取り除き,主にのみ仕えました。私たちも,自分には信仰がないことをを神さまに告白し,ただ,神さまにゆだねていくことが大切です。本当の問題「不信仰」が解決すれば,目の前の問題解決は神さまの御手の中にあります。

2 圧倒的な勝利者であることを示す神さま

イスラエルの民は,主のみに仕えるようになったのに,再び目の前に問題がやってきました。ペリシテ人がイスラエルに向かって上ってきたのです。
私たちの歩みも,神さまを信じて歩み始めたら目の前の問題が全く問題がなくなるというわけではありません。ときには,一層大きな問題が迫ってくることもあります。しかし,私たちは,イスラエルの民のように恐れる必要はありません。神さまは,神さまご自身が問題を解決することをとおして,「神さまは圧倒的な勝利者である」ことを示されるからです。
イスラエルの民は,サムエルのいうとおり,サムエルから離れず,私たちの神「主」に叫ぶのをやめませんでした。神さまの救いを祈り続けました。そして,サムエルは子羊を全焼の捧げ物としてささげました。すると,10節にあるように,「【主】は,その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ,彼らをかき乱したので,彼らはイスラエルに打ち負かされ」ました。神さまが勝利を与えてくださったのです。

3 救いの石,イエス様の十字架による勝利

サムエルは,勝利の場所をエベン・エゼルと名付けました。エゼンは,「助け」という意味です。エゼルは,「石」という意味です。ですから,エベン・エゼルは「助けの石」を表します。これからも,イスラエルは様々な問題にぶつかることでしょう。たくさんの戦いがあるでしょう。そのとき,エベン・エゼルを思いだし,神さまにより頼んでほしいということを示したのです。
この石は,今,私たちが信じているイエス・キリストの十字架を示してしています。私たちは,問題のただ中を歩んでいます。望みを失っている人,困難にぶつかっている人,自分自身の存在の故に悩んでいる人,病のために失望している人,自分の罪に苦しんでいる人それぞれに違いますが,私たちはいろいろな問題に直面します。そのとき,私たちは,「神さま,私は,神さまにのみ仕えていると思っていました。神さまを信じていると思っていました。でも自分には信仰がありませんでした。私は,罪のありのままでイエス様の十字架を見上げます。どうか神さま私を救ってください。私を導いてください。」と祈ることしかできません。しかし,それが完全な勝利への道です。そのような私たちを神さまは導いてくださいます。救ってださいます。そして,完全な勝利を与えてくださいます。

(2021年3月21日 石原 俊一 兄)

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