御霊によって(ガラテヤ人への手紙5章19節~26節)
1 「聖霊」の特徴としてのとらえにくさ
5月23日は聖霊降臨を記念する「ペンテコステ」でした。しかし、聖霊(御霊)の働きは、父なる神や御子イエス・キリストの働きに比べて、イメージしにくい部分があるのではないかと思います。なぜなら聖霊は、「とらえにくさ」が特徴のひとつで、イエス様ご自身も「御霊(原語で「風」の意味)」について「風はその思いのままに吹き、 あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。」(ヨハネ3:8)と語りました。
こうした事情の中で、聖霊の働きは論争の種になってきました。特に、1世紀の教会が経験したような「異言」や「癒し」等といった超自然的な聖霊の働きを強調する教会が、それを否定する教会を非難したり、反対に、非難されたりといったことが起こってきました。それぞれの教会の立場は尊重されるべきですが、残念なことに、しばしば聖霊の話題はそのように、触れにくく、争いや分裂をもたらすテーマとなる現実があります。
2 教会に一致と愛をもたらす「聖霊」
しかし本来、聖霊は、神の民として教会がひとつとなり、愛し合う交わりとなるために私たちに与えられています。ガラテヤ5:19には御霊に対立する「肉の行い」のリストが挙げられていて、その半分以上が、教会の一致を損なうものです(「敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ」)。なぜなら当時、ガラテヤの教会では、ユダヤ人クリスチャンが異邦人クリスチャンに「律法」を強要する問題が起こっていたからです。しかし著者パウロは、信仰によって救われたクリスチャンは、律法によってではなく、「御霊によって歩みなさい」(5:16)と語ります。パウロが御霊について語る時、そこには教会の争いへの問題意識があり(5:14, 25-26参照)、御霊の働きが、教会に一致と愛をもたらすものであることが強調されているのです。
3 「御霊の実」を目指して
そのような御霊の働きとして重要なのは、パウロの語る「御霊の実」です。それは、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(5:22-23)です。これらの「実」は、超自然的な現象をもたらすような「御霊の賜物(カリスマ)」と異なり、植物が成長するようにゆっくりと私たちの内に形作られる人格的性質です。それは、特別な人に与えられる賜物(カリスマ)ではなく、すべての人がもち得る性質で、ある意味「地味」ですが、真実にこの性質が私たちのうちに語り作られるならば、それは確かなインパクトをもって福音を証しする力となります。パウロが強調するのは、そのような「御霊の働き」としての私たちの人格的な成熟です。
ですから私たちは、御霊によって歩み、そのような人格の成熟を目指しましょう。「御霊の実」のひとつひとつを見る時、私たちは足りない自分の姿に落ち込みますが、これはチェックリストではなく、むしろ私たちに与えられた約束として受け止めるべきです。御霊が既に与えられていて、主ご自身が結ばせてくださる実のリストです。私たちは、風のような御霊を日々リアルに感じることができなくても、確かに私たちの内で働いて、私たちを変えてくださるのです。
ですから、私たちは、御霊の実を祈り求めましょう。そして、御霊が意識し続ける「教会」の交わりにとどまりましょう。教会の交わりの中で共に御霊の実を実践し、目指しましょう。聖書は言います。「私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」(5:25)共にこの招きに応答し、新しい1週間へと送り出されていきましょう。
(2021年6月13日 永井創世 師)