サマリヤの女との出会い(ヨハネの福音書4章01節~8節)

1 サマリヤの女に会いに行かれたイエスさま

イエスさまは,サマリヤの女に会うためにあえてサマリヤを通りました。これは,当時のユダヤ人には,考えられないことでした。このサマリヤの女は5回結婚しています。今一緒にいるのは夫ではないというのですから,波乱の人生を送ってきたことが分かります。イエスさまは,みんなに忌みきられていた民の,立派とは言えない人生を送ってきたサマリヤの女ところにあえて会いに行かれたのです。
イエスさまは,罪の中に生き,痛みと悲しみをもち,救い主を求める心低い人を愛されともに歩まれました。その人たちのところに行かなければならないと思い行動されました。そのイエスさまの愛を心にとめたいと思います。
教会は,赦された罪人の集まりです。決して立派な人の集まりではありません。イエスさまの姿に学び,これから,教会に来られるざまざまな人々を受け入れ,愛していきたいと思います。

2 イエスさまはただ疲れのまま座っておられた

サマリヤに着いたイエスさまは,疲れ切ったままで,そのままでこの井戸に座っておられました。自分でどうこうしないでそのまま座っておられました。そして,その乾きと疲れを癒やすものを待っておられました。そこに,サマリヤの女が現れたのです。
イエスさまは,自分で自分をつくろいません。そのままでおられました。そのままで待ち望みました。私たち神さま信じる者にとって大切なことは,そのままで待つということです。疲れたら疲れたままで,乾いたら乾いたままで,悲しいなら悲しいままで,痛みがあるなら痛みがあるままで,腹立たしければ腹立たしいままで。自分で自分を繕わず,そのままの場所で,神さまが私にしてくださることをただ受けていくことが大切なのです。

3 「水を飲ませてください」とお願いするイエスさま

サマリヤの女が水を汲みに来ました。そこで,イエスさまは,「わたしに水を飲ませてください」とお願いしました。イエスさまは,サマリヤの女を人を助けることのできる存在,人を生かすことのできる存在として認めてくださったのです。どうして,イエスさまは,自分の弱さを見せ,人に援助してもらい,相手を生かすことができるのでしょうか。それは,イエスさまが一切を神さまに委ねしていたからです。弱さを見せても,相手の助けを求めても イエスさまが神さまの子であり,神さまの絶対安心の中に存在していおることを知っていたからです。
私たちも自分の弱さを認め,人の援助を受けたとしても崩れていくことがありません。弱さを認めることで,私たちを愛し守ってくださるイエスさまの恵みに気づくことができます。ですから,私たちは人に助けていただくことができます。弱さを安心して見せることができます。そして,イエスさまがサマリヤの女を生かしたように,私たちも人を生かすことができるようになります。

(2021年6月6日 石原俊一 兄)

 

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