いのちの水をいただいたら(ヨハネの福音書4章27節~30節)

1 人との交わりの回復

いのちの水をいただいたことで,サマリヤの女が大きく変わりました。

(1)人々と交わること

一つは,サマリヤの女が人々の中に入り,イエスさまを紹介したということです。
それは,サマリヤの女の「来て、見てください。」という言葉から分かります。 言語を見ると,文頭に命令形の言葉が2つ並びます。来てください。見てください。サマリヤの女が町の人々に勢いよくお話しした様子が分かります。これまで,サマリヤの人から逃げるように,隠れるように生活していた女の人とはとても思えない行動です。

(2)自分の弱さを語ること

二つ目は,サマリヤの女が自分の弱さを語ったと言うことです。
それは,サマリヤの女の「私がしたことを、すべて私に話した人がいます。」,(新改訳)「あたしのしてきたことを、何もかも言い当てた方がいるのさ。」(リビングバイブル)という言葉から分かります サマリヤの女の負い目は,5人夫を変え,今も6人目の男性と結婚せずに一緒に生活していることでした。ところが,ここで,サマリヤの女は,自分がしたことを自分から町のみんなに知らせ,そのことをすべて私に話したイエスさまがいることを紹介します。

(3)イエスさまを救い主として紹介すること

三つ目は,サマリヤの女が,イエスさまを救い主として人々に紹介したことです。
それは,サマリヤの女の「もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」(新改訳)「あの方こそ、キリスト様に違いないよ。」(リビングバイブル)という言葉から分かります。サマリヤの女の言葉で,人々は町を出て、イエスのもとにやって来ました。強く,そして,生き生きとイエスさまを紹介したのだと思います。
いのちの水をいただくと,人と交わることができるようになります。自分の弱さを語れるようになります。そして,イエスさまを証することができるようになります。人との交わりを回復することができるのです。

2 弱さや罪からの解放 ~水がめを後ろにする

「彼女は、自分の水がめを置いたまま町へ行き、人々に言った。」(28節)サマリヤの女は,水をくむために,ヤコブの井戸に来たのに,その水がめを置いて,町に行ってしまいました。サマリヤの女にとって,水がめは,これまでのどこまでも人を求め,はてしなく渇く歩みの象徴でした。罪の中に歩んでいた歩みの支えであり,象徴でもありました。しかし,サマリヤの女は,その向きをイエスさまに180度変わりました。イエスさまを信じ,イエスさまを受け入れ,イエスさまからいただくいのちの水で生きるようになりました。すると,自然に,なんの力みもなく,自分から水がめを手放すことができるようになりました。水がめを後ろにすることができるのです。
この働きの言動力は,イエス・キリストです。こうして,罪の歩みを捨て,罪の歩みを後ろにして,イエスさまにある歩みを歩んでいくのが,いのちの水をいただいたクリスチャンの歩みです。私達も,イエスさまを信じ続け,イエスさまの与えてくださる,いのちの水を求め,いただき続けていきたいと思います。

(2021年7月11日 石原俊一 兄)

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