ともに喜ぶために(ヨハネの福音書4章31節~38節) 

1 「イエスさまの食べ物」を食することの喜び

サマリヤの女は,イエスさまを信じ,大きく変えられました。サマリヤの女はイエスさまから,永遠のいのちを与えられました。サマリヤの女は,イエスさまの食べ物もいただいたのです。それは,イエスさまにとって大きな喜びでした。ですから,「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。」(32節)というお言葉には,「弟子達よ。あなたたちは,この世の食べ物で自分を見たそうとしているのだね。私は,神さまの御心をなし終えていま,霊的な満足感でいっぱいなんだよ。」という気持ちがこめられていたと思います。
私たちは自分の弱さを感じることがあるかもしれません。しかし,私たちはただ,イエスさまを信じることだけ,イエスさまの食べ物を食することだけでイエスさまは大いに満足されます。そして,私たちも大きな祝福,平安に満たされます。永遠のいのちに導かれます。これが,イエスさまが一人一人に与えようとしておられる救いです。

2 イエスさまの刈り入れの喜び

これから,サマリヤの女の話を聞いて,たくさんのサマリヤ人がイエスさまのもとにこようとしています。このとき,多くのサマリヤ人がイエスさまを信じます。まさに,イエスさまにとって色づいて、刈り入れるばかりになっているときでした。時は,12月半ばのことだと思います。実際の畑の刈り入れをするにはあと4ヶ月が必要でした。しかし,イエスさまは,信仰の目で,目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。 とお話しにったのです。
私たちの教会は小さな教会ですので,新しい信者が与えられるように祈っています。しかし,私は自身,祈りながら,実際に信者が与えられるのはもっと先かなと心の中で思っていたように感じます。私たちがいくら目をこすって畑をみても刈り入れはまだまだ先です。しかし,イエスさまは信仰の目をもって福島市民を見なさい。イエスさまを信じる人がたくさんいますよ。そう語りかけておられます。

3 刈り入れをイエスさまとともに喜ぶ

蒔く者であるイエスさまは,信仰の種を蒔いてくださいました。そして,私たちの罪のためにイエスさまの十字架によって救いの実,永遠のいのちに至る実いつでも収穫できる状態になっています。刈る人は,その実,イエスさまが準備してくださった救いの実を刈る人です。ここでいう刈る人は,まず「私」のことです。私自身がイエスさまを信じることです。私がイエスさまを信じることを大きな喜びです。私がイエスさまのことを伝えることで,他の人がイエスさまを信じるようにようになります。私にとって,他の人がイエスさまを信じることは大きな喜びです。そして,イエスさまは,私たちがたくさんの者たちが刈り取ることを本当に喜こばれます。だからイエスさまは,それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。と御語りになったのです。

4 イエスさまの労苦に預かり大きな喜びを

労苦したほかの者は,イエスさまです。イエスさまを指し示した旧約聖書の預言者たちの労苦も大変なものでしたので,ほかの者たちに加えられています。しかし,なんといっても一番の労苦はイエスさまです。イエスさまが一から十まで救いを成し遂げてくださいました。私たちの救いのために十字架にかかってくださいました。そのイエスさまの労苦によって,私たちの救いは完成しました。救いはただ,信じて受けていくことです。すでに実っている 永遠のいのちに至る実を感謝していただくだけです。
私たちは,ただ,イエスさまの救いに預かるだけです。ですから,サマリヤの女のように,「この方こそ救い主です。」とイエスさまを指し示すだけで,多くの人々がイエスさまを信じるという大きな喜びをいただくことができるのです。

(2021年7月25日 石原俊一 兄)

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